バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

10年に一度の受難劇inオーバーアマガウ 'Passion Play' 感想

 7/7、七夕の日にオーバーアマガウの受難劇を観てきた。

例によって無事ここまでたどり着くのに必死であまり予習できておらず、今までの知識の蓄積とコロナ禍にオンラインで観たジーザス・クライスト・スーパースター、ヨセフの不思議なテクニカラー・ドリームコートといったロイド・ウェバー作品を思い出しながら観ることとなった。

 

 場面はキリストの最後の七日間に関わる話が進んでいく物語のパートと、黒い衣装を着た人たちの合唱シーンという二種類に大きく分かれていて、大体交互に進んでいく。合唱パートではソロに移った時に舞台奥がもう一つの額縁舞台のように開き、前述のヨセフだったり、モーセの話だったり、宗教画の再現のようなものが挿入されて、見どころのような感じになっていた。

 

 前半は14時半から始まる。登場する人物の多さでスペクタクルさを表現して来るのが力技感もあるが、子供たちはかわいいし、キリストはロバに乗って出てくるし、オーバーアマガウの宣伝を観た時によくでてくるこの入場のシーンには感動した。(このシーンのマグネットが欲しかったが、高い価格設定の場所でしか売ってないし、結局買えずに少し後悔している。)ロバ以外にも、上演では馬、鳥、羊、ラクダ等沢山動物が舞台に登場するが、それだけでも興奮してしまう。

その後、キリストがマグダラのマリアを救ったり、商人を追い出したり、色々あって第一部の最後は最後の晩餐だった。

 

 第二部は長めの休憩を挟んで20時から、裏切り者のユダの後悔とキリストの処刑、復活の匂わせなのだが、ユダの後悔は、比較的に丁寧に描かれていたように感じた。この部分の演出は時代や他の作品の影響を受けるのかもしれない。

 また、キリストがいたぶられるシーンがかなり延々と続くのが、クリスチャンではない私でも非常に可哀想に思えた。10ユーロという高値でブランケットを買ってしまうくらい、寒い会場でずっとほぼ裸のような状態で耐え、磔にされた状態で震えることなく死体として存在し続けるというのはかなり大変なのではないだろうか。キリスト役に関しては演技力以上に体力と忍耐力が必要な役だと感じた。

 ただ、キリストが磔で処刑されてしまってからエンディングまでは盛り上がるというよりも二人のマリアの哀しみ、監視のローマ兵の場面など粛々と進んでいって、5時間ほどの上演時間で疲れも蓄積していたのであまり集中して観ることができなかった。光を放ちながら復活して来たりするのかなと期待していたのだが…そういう復活場面は具体的には描かないことで想像を膨らませるというようなものなのだろうか。

 

 そのような奇跡に関する特別な演出はあまり無かったが、最後の晩餐やユダの後悔の場面で激しく雨が降ってきたり、キリストが父なる神に話しかける場面で雨が降っているのに日も差してきたときには、自然の不思議な力を感じた。

 終演は22時40分くらいで、カーテンコールが全く無いことに驚く。ほとんどの公演でスタンディングオベーションが起きるルーマニアを経験して、ヨーロッパはスタンディングオベーション文化なのだなと思っていたが、先日のドイツはオベーションところか1回のカーテンコールででほとんどの客が出てしまっていたし、色々国とか地域の特徴が出ていて面白い。

ともかく、客席からの退場もスムーズに進み、終電に間に合ったことに安堵しながら、宿泊地へ。

めちゃくちゃ夜に戻って、朝すぐに出発するのにホテル代が高い‥‥ドイツ二日目、そして観劇三昧の日々終了。

ミュンヘンとルートヴィッヒ二世の城をめぐった後、今またルーマニアにいます。