バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

身体とジェンダーに関わるテーマ①SO LA FLAIR『HOW TO KEEP UP WITH THE KARDASHIANS』

 観た作品が溜まっていくばっかりで全然ブログを更新する時間が無い今日この頃、日本に来ている「スカーレット・プリンセス」チームのインスタグラム投稿を見ては、なぜ私は今日本にいないのかという気持ちになっています。日本は何故秋にばっかり劇を上演するのか、というか女王の葬式で現地での説明会が結局オンラインになったからそんなに早く来なくても良かったんじゃないか、市原佐都子の新作くらいは観てから行っても良かったんじゃないか…。まあ、日本にいても、東京に住んでないと結局そんなに演劇見れてなかっただろうと思って気を落ち着かせています。今回は、一年生向けの演劇学の授業の実習的なもので見た作品群の中でも、身体とジェンダーに関する作品(一つ目)の感想です。

 

―――――

『HOW TO KEEP UP WITH THE KARDASHIANS(直訳:カーダシアンに追いつく方法)』 @Martin Harris Centre(大学の劇場)

上演前、奥にキム・カーダシアンのポスター

 この作品は、SO LA FLAIRというマンチェスター大学ソサエティ(サークル、クラブ活動のようなもの)出身の人達を中心としたアーティストグループによって作られた作品だ。コロナ前の2019年から創り始められ、今年のエディンバラ国際演劇祭のフリンジにも参加したらしい。

 タイトルは、自らの補正下着ブランドに「KIMONO」と名付けようとして炎上したことでも知られる、キム・カーダシアンを始めとする一家が出演する有名なドキュメンタリー番組「KEEPING UP WITH THE KARDASIANS(邦題:カーダシアン家のお騒がせセレブライフ)」を基にしており、実際に舞台上にも水着を着たカーダシアンのポスターのようなものがでかでかと掲げられている。しかし内容は、そのようなカーダシアンの番組や広告を通じて世の中に広められる画一的な美への懐疑であり、批判的に言及がされる。

 劇が始まると、七人の俳優が登場し、体を挑戦的に見せつけるような、キャバレーのようなダンスを行う。5歳から60歳位の女性やノンバイナリーの人にインタビューした自分の身体や美、アイデンティティーに関するインタビューを基に作られており、シーンの途中途中で、ボイスオーバーのような、俳優が音声に口を合わせる形で挿入された。また、それぞれ七人の俳優一人一人にフィーチャーするシーンがあり、実際に俳優と演出家が話し合いを重ねながら創ったらしい。例えば、鏡の前での経験だったり、ダイエットの話だったり、黒人女性が抑圧されるという話だったり、移民で美の価値観が変化したという話だったり、カウンセリングの話だったり、クラブの話だったりがそれぞれ展開される。かなり痛切でつらいような部分もあるのだが、それぞれのシーンで大体最後は、私の身体は他者に定義されないというような形で自信を取り戻す、パフォーマンスをするという形式になっている。コメディ的な要素も交えていて笑いもたまに起こっていたのだが、正直こういう話の筋が無くワークショップを通じて作られた作品はあまり予想もできず、何を言っているか分からないところがかなりあった。音楽も有名な番組やコマーシャルのミキシングみたいなものがされていたようなのだが、これもその背景を知らないので難しいなと感じた。

 フェミニズムや家父長制や資本主義と結びついた美の価値観への反抗はとても興味のある分野で、フラッシュを使ったパパラッチされているようなシーン、たばこを吸う、酒を飲む動きを使った振り付けなど個々のシーンは興味深いのだが、深く理解は出来ていないと思う。またこういう芝居は筋というものが無いため、異なるシーンの組み合わせという感じで散らばった印象を受ける。最後のシーンではアンバーの照明の中、一人が歌を歌うのだが、一回「I AM NOTガンダーラ」と聞こえてしまってから、頭の中がゴダイゴに支配されてしまった。本当に最悪な感想なのだが、このように自分の英語力のせいもあって消化不良のまま終わってしまったという感じだ。

 上演後に俳優、演出家、スタッフを囲んでの質疑応答があった。今までの感想でも述べてきたような、創作の背景やプロセス、作品の意図などが話された。まず俳優が名前を言ってから「I pronounce she/her, they/them」などと言うのが印象的だった。その後も友達同士でもそのような自己紹介があるので、こっちではもうそれが一般的になっているようだ。また、公演ごとのアドリブ、変更はあるかという質問で、フランスでの上演では客のほとんどが白人男性で劇場が静寂に包まれたというのが、容易に想像されて面白かった。