バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

宇宙空間の桜の園ーVinay Patel翻案『The Cherry Orchard』

マンチェスターHOMEシアターでの上演。二列目のほぼセンターで観劇した。前列も誰も座っていなかったので最前列ではあるが舞台をかなり見上げる形になるので見えにくい部分もあった。二年生向けの近代劇の授業の一貫で無料で観ることができた。無料チケットなのに全然申し込む人が少なく、不思議に思った。忙しいのだろうか。

homemcr.org

本題に戻ると、翻案はヴィネイ・パテル(Vinay Patel)、演出はキャリル・チャーチルの劇を多く手掛けるジェームズ・マクドナルド(James McDonald)だ。舞台上には円形の回転式のセットが組まれていて、大体回り続けている。中心の軸が何らかの操作盤がある。そこに、声のみの登場で、AIになったメイドのドゥニーシャが組み込まれている。

開演前の舞台の様子

理解できているか怪しい部分もあるが、宇宙船の中にも階級があって、舞台となってる場所の下に下級の一般の人達が暮らしている。宇宙の外に移住できる星が見つかったので、ロパーヒンは桜の園の木を切ってシェルターにするなりしてすぐにでもそこに行くべきということを提言するが、現在の生活に満足しているラネーフスカヤ達はあまり賛同せず…という筋だった。SF版にしたことで生まれる、上手い思いつきのようなものが所々に挿入されていて、特にロパーヒンが新しいキャプテンになったという事が、彼が曲を変えてとAIドゥニーシャに頼み、彼女が「はいキャプテン」と答えるということで示されているのはスマートだった(最初の場面でキャプテンじゃないと曲を変えられないという事が明示されていた。)

 

舞台全体としては、SFになったことでより喜劇的な要素が増していたように思う。例えばエピホードフがドゥニーシャに惚れているというのは相手がAIになったことで更に面白みが増しているし、フィールスが老人ではなく古いお手伝いロボットになったことで、彼のボケの痛ましさ、実際のおじいちゃんを想像してしまう感じが少し和らげられていたようだった。更に養女ワーリャというと堅物なイメージがあるが、この作品ではぶっきらぼうではあるもののかなりはっちゃけた激しい気性の女性として描かれていて、コミカルな部分もある。アーニャの恋人のトロフィーモフを嫌っているところが、彼とだけダンスを踊らなかったり、両手でfサインをしたりと表情と行動から明確に示されていたのが面白かった。また、彼女はトランプマジックをしたり、第二幕でニンジンを生のままかじるので、省略されたシャルロッタの面白い人格が少し影響しているのではないかと思った。もう一人の気性が激しい登場人物がロパーヒンで、最後の二人が結局別れてしまうシーンは熱海殺人事件並みの熱い演技だった。

一方でアーニャとトロフィーモフカップルはこのAIが中心にずっといる空間では完全に二人きりになることができず、NT版「桜の園」など以前見た上演よりも更にプラトニックだ。ワーニャが強烈な個性を発揮する中、アーニャの印象が薄い。

 

キャストは途中やって来る浮浪者役(宇宙服を着て外からやって来る)を白人女性が演じている以外は全員南アジア系だ。舞踏会では伝統的な踊りが用いられているのだが、長い間宇宙で過ごし、代を重ねたことによってその先祖文化や歴史というのは薄れているようだった。というわけで作品内でインドに関することが言及されることは特にないのだが、宇宙船の中にも存在する階級制や、イギリスとインドの植民、被植民の関係性の反転のテーマということが意識されているかもしれない。

 

回る装置も見事だが、差し込んでくる太陽の光など照明効果も美しく、ロパーヒンの昔の記憶という形で息子の映像が幕切れに使われる等、映像も効果的に使われていた。桜の園のト書きにかなり忠実な部分(エピホードフの音の鳴る靴、ワーニャはSFに不釣り合いな鍵の束をジャラジャラいわせている等々)と変化している部分(木を切る音がチェーンソーになっている、ドゥニーシャが踊れない代わりにロボットロパーヒンが舞踏会で踊っている等々)のバランスが面白く、これこそ翻案の舞台を見る楽しさという感じだった。