バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

今週の観劇三種-『NOT F**KIN’ SORRY』『OODLES OF DOODLES』『LION KING』

今週は近所の劇場のしかも一時間公演だからいいかと思って、平日に二つの公演と、週末にミュージカルのライオンキングを観に行った。

 

『NOT F**KIN’ SORRY』

写真撮影が自由だった

一番家に近いコンタクトシアターでの公演。学生会員&会員割引でチケットは四ポンドだった。知的障害や神経的な疾患を持つ俳優たちによるキャバレー形式の公演で、観客いじりや、歌、コメディ、パロディ、フリンジのついたニップレスなどキャバレーの形式に従いながら、彼らの抱える問題やジェンダーの問題を告発していくというような形式だった。特にコロナの影響というのが大きく取り上げられていて、最初に全員防護服を着て出てくるし、コロナで障害を抱える人達が健常者よりもいかに危険にさらされて実際に死亡率も高いかという事が紹介された。最後に緑色のコインのようなものを一番よかった演者に入れるというのがあり、優生思想や何か作品内のテーマと関わって来るのかと思ったが、結局「またお前が一番多いのかよー」みたいなコメントで終わったので、そこは拍子抜けするところではあった。

作中では、ボリス・ジョンソン(ものまね、これもこんなに政権が変わるとは思ってなかっただろう)や問題のある社会に対してはタイトルにもある通り中指を突き立てる。そして自分の身体に誇りを持とうということや、私たちは普段隠されてるけどどこにでもいるし、いなくならないといった、力強いメッセージも発信される。参加してはないが公演後にはバーで懇親会のようなものがあったようだし、詳しいリーフレットのようなものが配られるし、作品の内外で啓蒙とコミュニティ形成を促進するような演劇だと思った。

 

『OODLES OF DOODLES

恐ろしい客席(見にくい)

大学のドラマソサエティのフリンジ公演の一つで、犬に対する飼育放棄やビジネスの問題を扱った作品。オリジナルでよく分からなかった部分も多いがコメディで、また性的魅力を強調するようなダンスが印象的に用いられていた。珍しい犬を飼い始めた主人公のDAISYがかなり無責任な飼い主で、健康診断とかは行かない代わりにビジネスとして子供を出産させて儲けようとする。彼女の彼氏のTOMは最初はそんな彼女を諫めていたが、最終的に弱った犬を殺してしまい…。という話だ。筋としては単純で問題意識もはっきりと伝わって来るが、犬を殺した時にマクベスのネタが挟まれたり、ジェームスボンドのネタが挟まれたりと色々な引用がされて面白くなっていた。ただ、会場がゲイビレッジのバーの地下のような所で、客席がディナーショー形式の円形に置かれていて、しかも観客わたし以外全員知り合いなんじゃないかというような社交が上演前から繰り広げられており、観客の盛り上がりも半端じゃなかったので、テンションとしては置いていかれてしまった。

『Lion king』

日曜の昼ということもあってか家族づれが多く、一つだけぽっかり空いた席をそれぞれ友達と20ポンドほどで買うことができた。

キャスト表

今回ツアーでやってきているマンチェスターのパレスシアターはそこまで舞台が広くないのだが、だからこそ舞台ギッチギチに動物が沢山いて迫力があった。幕開きの動物たちも、敵のハイエナたちも客席から登場するので、大きい動物が現れた時は普通に興奮した。床から蒸気が出たり、床に布が引き込まれていったりと装置や衣装の豪華さも流石のメガミュージカルという感じだった。

 

ライオンキングというと、子役が舞台に立てるまでみたいなドキュメンタリーのイメージが強く、そこで見た子ライオンのアクロバットはなかったような気がするのだが、どこまで日本独自の演出、このプロダクション独自の新しい演出がなされてるのだろうかというのが気になった。例えば、執事鳥のザズーがはけ際に『白鳥の湖』の真似をしていたのは、このパレスシアターの前の演目が白鳥の湖だからかと思ったのだが、どうなのだろう。少し調べてみると、二幕で同じくザズーが悪者のスカーに捕らえられている時にレットイットゴーを歌ったシーンは日本では富士サファリパークのメロディだったりするらしい。また最後の決闘シーンでもティモンとプンパァがおもむろにチャールストンを踊り出すシーンは日本ではやってないだろうと思ったら、チャールストンという言葉は削除されているもののやられているらしい。(参考資料https://shiki-note.com/lkhenkoten-2402.html

 

「サークルオブライフ」等全員で歌う歌はパワフルで心に迫るのだが、肝心のシンバの声量が満足いくものじゃなかった。だからこそ親が王だからと言ってハクナマタタの精神で育ってきたシンバが本当に王に適格かどうかという疑問が少し残った。