バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

少人数の演目多め~『The beginning』,『WHO YA GONNA CALL? 』,『Song From Far Away』,『Death Drop』~

 まだ気温が全然上がっていないが三月だ。今月は意味が分からないくらい面白そうな演劇が目白押しであるため、観劇のスケジュールがめちゃくちゃなことになっているし、少し遠くの劇場で上演される作品やチケット代のかさむ公演はかなり諦めている。

 劇場も少ないし、上演も少ないため、よく知らない内輪のノリの強いような地方の演劇サークルまで見て、それでも全然月に二三回とかの観劇回数だった高校時代を思い出せば羨ましい状況だが、演劇を観るというのもそれはそれでかなり体力を使うことだということを、最近強く感じる。特に英語だし、ブログを書くし、しかもなんか体調が悪い。いくら大好きな友達でも遊びに行く当日全然部屋から出たくなくなるみたいな感じで、元々が出不精だから演劇の予定がないとほとんど外に出ないし、チケットを買わずに当日決めようと思っていると大体行かない。そのため今月はもうほぼ事前にチケットを買った。ただそうすると、新しく友達から誘われたり、めちゃくちゃ面白そうな公演が後から出てきたりして、また観劇回数が増えることになる。この余裕のなさは確実に学校の忙しいスケジュールのせいもある。ストライキが無くなって休みは消え、授業は10週しかないのに、8週連続で授業して一か月ほどのイースターブレイクを挟み2週授業をするという感じでバランスが悪い。ちょっと休みが欲しい。あとバスが高く、劇場まで良い感じに連れて行ってくれるものもないため大体歩いているが、雪が降ったりして寒いし、疲れる…。

 

 と、一連の最近のただの愚痴(多分暖かい季節になったり、めちゃくちゃ面白い演劇を観たらすぐに回復する)を言ったところで、水曜日と木曜日に観劇した作品を簡単に振り返っていきたい。

 

Royal Exchange シアター ‘The beginning’

 お馴染みの円形劇場、Royal Exchangeでの上演。David Eldridge脚本、Bryony Shanahan演出で、ナショナルシアターで2017年に初演された作品。2時間ほどの二人芝居で、38歳の仕事で成功を収めた独身女性のアイランドキッチンのある豪華な部屋を舞台に、離婚して娘のいる男性のパーティーでの会話と、ぎこちない関係性の進展を描いている。このように書くと、あんまり面白くなさそうな内容で、私も正直全然期待をしていなかったのだが、発言の面白さや、二人の関係性のじれったい感じというのがこれぞリアリズム演劇という見事にリアルな演技と相まって結構楽しめた。特に、キスをするのかなという雰囲気になったのに男性の方がするっと逃げて行ったり、掃除をしてから落ち着いて話そうとなったら、女性が掃除をしているようで、ただもう掃除が終わったことをアピールするように振舞っていたり、曲を流して変な踊りをしたり、魚をオーブンで焼いて静かに食べたり…英語が聞き取れていないのでこういう分かりやすい身振りに注目してしまっているが、台詞でもかなり笑いが起きていたので完全に理解できるともっと面白いだろうと思う。脚本は初演のままのようで、アメリカの次期大統領は女性になるだろうというような台詞はかなり皮肉に響いた。

舞台の様子、下手にあるこの柱がソファの視界を遮っている

 一つ問題があるとすれば、円形舞台に2つ街頭のライトのような装置が建てられていて、能舞台の橋掛かりのように視界を遮ってくる。『雨に唄えば』の有名なシーンのようにその装置を使う場面があるのならまだ納得もできるのだが、部屋の中という設定だし、必要性が分からないままただ邪魔という感じだった。

 

Stephen Scott-Bottoms教授による一人芝居WHO YA GONNA CALL? (in event of emergency)

上演前の様子(教授の顔は一応隠しました)。

 前学期のTheatre of Modernityや今学期のTheatre & Performance2を受け持っている先生の一人芝居を観てきた。セミナーという少人数のクラスこそ受け持ってもらっていないものの、レクチャーやプレゼンの審査員としてなどで顔を合わせることもあったので、最初に一対一で自己紹介する時間ではああ、マスクつけてるからわからなかったけど見たことあるよという反応だった。観客席に座る段階で嫌な予感しかなかったのだが、第4の壁はなく、舞台上に先生を囲むようにして客席が設けられており、まず、1から9までの番号が振られた黄色いバケツを観客に先生が配って回る。その後も小包が爆弾ゲーム形式で回ってきて当たった人は中に入っている名札の役を演じなければならなかったり、何かにつけて役割が観客に振られて、絶対に当たりたくなかったので変にドキドキしてしまった。先生もそこら辺は配慮してくれていたと思うので、私の横の人はめちゃくちゃ駆り出される割に私が指名されることは無く(それはそれでさみしい気持ちもあるが)無事に終わった。

 内容は気候変動に関するもので、それぞれ市議会議員や企業の役員といった役を振られた観客とのロールプレイングゲームだったり、バケツの中の砂を観客に運ばせて、途中インフラが壊れたらどうなるかということを視覚的に示したりしていた。バケツの中からは、砂に埋まったミニチュアのトラックや地球、マスクなどが出てきて、そのアイテムに関する話題が進む。結局、コロナもあったし、人間の制御しきれない問題は必ず起きるものだから、それをどうしていくかというような話であったような気がする。最終的な話の理解がなぜこんなにも曖昧かというと、大きな道具もなく、先生だけの一人芝居で、観客参加を促して結構面白い演劇作品として成り立っていることから、私もなんかこういうのやりたいな~と途中で考え始めてしまって、全く集中できなかったからだ。先生のアイデアをパクるのは問題だと思うので、何か自分の研究に関連して大学の劇場でできないかなとか、いやでも卒論の研究を題材に面白いことが思いつかないなとか、松井須磨子…?レクチャーパフォーマンス…?と色々な考えが行き交い、そうすると約一時間のパフォーマンスが終わっていた。

 

Homeシアター ‘Song From Far Away’

開演前の舞台。この天井やカーテンが可動式になっている。

 Will Youngの一人芝居で、Simon StephensとMark Eitzelの脚本でKirk Jameson演出。ちなみに、2015年のYoung Vicでの上演では、イヴォ・ヴァン・ホーヴェが演出を務めたらしい。

 兄の死をきっかけとした家族にまつわる独白劇なのだが、かなり台詞が多く、舞台の字幕が表示される公演を選んでいたにもかかわらず、視力が悪化しすぎていることもあって全然字幕を追えなかった。しかもこの前に2作演劇を観ているなど色々他にも要因はあるだろうが、Will Youngの声色が心地よ過ぎて、温かい感じでめちゃくちゃ眠気を誘われた。なので本当に夢の中で見た世界というような感じなのだが、舞台装置がまた見事で、天井が迫って来るような装置や柔らかい色のカーテン、そこにさす日の光のような照明が本当にきれいで、ノイズがないという感じだった。もっと集中して内容を掴めた方がもちろんいいのだが、やらかしたという反省も少ないくらいポカポカした気持ちよい劇場内で、逆に起きてた人がいるのかなと思う(開き直り)。

 

Opera House ‘Death Drop: Back in the Habit’

会場前に掲示されたチラシ。

 Alfie Romeoという名前の女性蔑視的で差別的な司祭(ドラァグキングのLouis Cyfer演じる)が秘宝が隠されているという修道院に向かうが、そこでJujubee, Cheryl Hole, Victoria Scone, Kitty Scott-Clausという有名なドラァグクイーンたちが演じる修道女たちに脅かされるという話だ。この修道院には幽霊が出るということになっていて、ホラー要素がありながらめちゃくちゃ下ネタ多めのコメディ作品になっていて、キリスト教を皮肉る作りになっている。最後の場面では、トーリー(現政権)とTERF(反トランス主義者)以外は修道院に歓迎するというような発言で締めくくられて、観客は大盛り上がりする。そういう政治や宗教に対する批判・風刺に加えて、走ったら一瞬で場所が移動する、煙たいスモーク、照明のスポットが当たる立ち位置が決まっている等々の演劇の約束事の存在もコミカルに提示し裏切っていくメタシアター的なつくりにもなっていて、めちゃくちゃ面白かった。一人の修道女は確実に『サウンド・オブ・ミュージック』のパロディをしていることもあり、宗教の題材であることもあり、『ブック・オブ・モルモン』との共通性が指摘できるかもしれない。

 イギリスに来てドラァグクイーンの出演するショーは何回か見たし、前回観たミュージカル『Head over heals』もその一つだったが、完全に演劇・ミュージカル的で、大劇場を埋めるような演目は初めて見たので、先進的だと思う。ちなみにこれはイギリスでも珍しいことのようで、「これぞ新時代の演劇(This is a new generation of theatre)!」と評されていた。

mancunion.com

 日本だと、お蔵入りになった「マグダラなマリア」シリーズが結構今回の演目に近いコンセプトだったのではないかと思う。つまり、性加害で問題になった演出家のオリジナリティがかなり強調されて、復帰を望んでいるようなファンも多いマグダラだが、そこには結構ドラァグショーなどでの型とか定番のような部分もあって、同じような面白い作品は別に一人の演出家の才能に依存しなくても作れるんじゃないかと感じた。また、マグダラでは若手男性俳優が女装していたし、日本ではあまりドラァグクイーンが演劇やミュージカルの舞台に上がるという事はまだ聞かない。実際、私も考えたことがあまり無かったのだが、こういう演目が上演されても面白いだろうな(日本だと破壊尼的な…?)と思った。