実感のないまま卒業~帰国~労働
ブログを半年ほど更新していなかったが、実感のないまま大学院を卒業し、
大阪のある劇団(別に隠す必要もないが、一応)で制作として働いている。
とはいえ、制作だけで食っていくのは難しいので、いろいろバイトもしているし、成り行きで10月は資格も取ったし、博士後期に進学する予定で、院試に向けて勉強もしている。
帰国後一週間もたたないうちに引っ越して働き始めたので、休みもないまま、ずっと働き続けている感じだ。
空いた時間には、国際芸術祭あいち2025やKYOTO EXPERIMENTを中心に、いろいろ演劇を観に行ったのだが...正直感想をまとめる時間が全然取れない。TwitterやBlueskyに感想を投稿する気にもならない...どうしてだろうか?
そんな気持ちとは裏腹に、制作的には、どんな悪評が書いてあったとしても、作品について書いてくれた文章は嬉しいものだなと実感する。
四の五の言わずに読んで、観て、書けということだ。練習練習!
ということで、二つの宣伝

学部二年生の時の自主研究で扱って、翻訳した、キャリル・チャーチル/デイビット・ラン作『口いっぱいの鳥たち』が上演される。
チャーチルの作品の中でも難解で、ギリシャ悲劇の「バッコスの信女」を基に、登場人物たちが変容して、女性が暴力的な力に目覚めたり、豚に恋をしたり、性を移行したりする。ダンスの要素も強く、どのように舞台で表現されるか、一観客として非常に楽しみだ。
公演情報:https://stage.corich.jp/stage/409361

結局隠さないんかいという感じだが、今働いている劇団が2月に扇町ミュージアムキューブで上演を行う。「国際芸術祭あいち2025」で世界初演した『BRAIN』を新規発展させた作品で、抽象的身体表現の魅力がこれでもかと詰まった作品だ。
大阪の近くに住んでいる方には、是非観に来てほしい!
公演情報:https://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
ということで、次回のブログは、KYOTO EXPERIMENTの批評プロジェクトで入賞できなかった批評をしっかりブラッシュアップして載せたいと思う。
(ここで宣言することで、そのやる気を高めている)
オランダ現代演劇の特徴と観劇ガイド
筆者は、オランダの大学院に留学し、一年間現代演劇について学んだ。
オランダの住民は皆英語が流暢で、日常生活に支障はない。しかし、劇場で使用される言語は基本的にオランダ語であるため、アクセスが困難な情報も数多く存在する。短期間の滞在で、オランダ語も習得していないため、情報不足は否めないが、本ブログでは日々の観劇体験とAcademy of Theatre and Danceでのインターンを通じて得た知見を共有したい。
1. オランダ演劇の3つの特徴
① コンテンポラリーでポストドラマ的・実験的な作品が主流
この傾向の要因として、まずオランダにはシェイクスピアのような国民的劇作家が存在しないことが挙げられる。そのため、古典戯曲を使った上演が元々盛んではなかった。
さらに決定的な転換点となったのが、1969年に起こった「Aktie Tomaat(トマト・アクション)」である。演劇を学ぶ学生たちがNederlandse Comedieという劇団によるシェイクスピア作『テンペスト』の上演中に舞台に向けてトマトを投げつけ、伝統的で保守的な演劇の作品選択やそれを支えてきた補助金制度に抗議した。この事件は大きな議論を呼んで、補助金制度の見直しにつながり、「第二次世界大戦後のオランダ演劇史の転換点」となった*1。
こうした歴史的背景により、現在のオランダではブラックボックスでのマイム(BVDSなど)*2やAIやロボットを使ったマルチメディア作品(UrlandやUlrike Quade Companyなど)が数多く上演されている。
② ツアー文化の発達
オランダは国土面積が九州とほぼ同じと小さく、発達した鉄道網で各都市が結ばれている。各街に劇場があり、政府の補助金給付要件にもなっていることから、作品を複数都市で上演することが一般的である。
特に、オランダ制作の作品、例えばInternational Theatre Amsterdam (ITA)、Nederlands Dans Theater (NDT)、Theater Rotterdamなどの作品や中小のカンパニーによる作品は、ほぼ確実に地方の劇場にもツアーで巡回する。そのため、わざわざ遠征する必要がない。
また、話題作を見逃した場合でも、他都市での公演や次シーズンでの再演で観ることができる場合が多い。
③ カフェとドリンクサービス
多くの国の劇場にカフェは付属しているが、オランダの劇場はカフェの比重が特に大きい。入り口やホワイエ自体がカフェになっており、開場までの待ち時間をそこで過ごすことが一般的である。例えば、ITAもエントランスはカフェになっていて、テーブルで埋められているので、一見豪華な飲食店に見える。
また、Stadsschouwburg UtrechtやTheater Rotterdamの大ホールでの公演では、チケット代にドリンク料金があらかじめ含まれており、幕間もしくは終演後にアルコールやソフトドリンクを楽しむことができる。個人的にはドリンク抜きでチケット料金を下げてほしいが、開演前や終演後に飲み物を片手に語り合う文化が根付いているようだ。
2. 劇場の特徴と分類
劇場ごとに上演作品の傾向や規模が異なる。私が住んでいたユトレヒトを例に説明する。

Stadsschouwburg Utrecht(ユトレヒト市立劇場)は、1000人収容の大ホールと250人収容の中ホールを擁し、オペラ、バレエ、ミュージカル、NDT、ITAなどの大規模作品から、地元向けキャバレー*3まで幅広く上演する。

Theatre Kikkerは、100人程度と50人程度を収容する小ホールを持ち、より実験的で現代的な作品や、近隣の芸術大学(HKU)の学生作品などを上演している。
その他、ユトレヒトにはウェストエンドスタイルのミュージカル(『ムーラン・ルージュ』『アナと雪の女王』など)を上演するBeatrix Theater(大劇場)や、Theater Utrechtの本拠地De Paardenkathedraal(小劇場)などがある。
この大劇場系と中小劇場系の分類は他都市でも見られる。アムステルダムではITAやNational Opera & Balletが前者、Frascatiが後者。デンハーグではAmareが前者、Het Nationale Theaterが後者。ロッテルダムのTheater Rotterdamは、ホールサイズの違いにより両方の役割を果たしている。
また、同様の作品がツアーで巡回するとはいえ、各劇場独自の海外招聘作品も存在する。特にITA(芸術監督:Eline Arbo)とTheater Rotterdam(芸術監督:Alida Dors)が積極的で、昨年、市原佐都子の『弱法師』が上演されたのもTheater Rotterdamだった。
3. チケット料金と購入方法
チケット料金は決して安価ではない。小中劇場でも基本料金は€20(約3,400円)程度、大規模プロダクションでは€30(約5,100円)、ミュージカルでは最低€50(約8,500円)程度である。
割引制度は劇場により異なる。Stadsschouwburg Utrechtでは学生料金が19歳以下限定だが、当日券が売れ残れば一般50%オフ、学生一律€13で購入可能である。Theatre Kickerは当日割引は無いものの、年齢制限なく学生割引を適用しており、€13程度でチケットを購入できる。
National Opera & Balletでは、当日午後1時から学生向けに€20でチケットを販売している(空席がある場合)。
最もお勧めなのがPodiumpasである。 月額€38.50(約6,500円)を支払うことで、オランダのほぼ全ての劇場での公演が見放題となるサブスクリプションサービスだ。オランダではサブスク文化が発達しており、美術分野のミュージアムカード、映画のCinevilleなど類似サービスが存在する。
Podiumpasに加入すると、ほとんどの劇場で公演1か月前からチケットを電話・メールで予約できる。ITAやNational Opera & Ballet、ミュージカルの劇場では利用できず、Spring、Holland Festivalなどのフェスティバル公演では適用外だが、月1〜2回観劇すれば元が取れる。このサブスクのおかげで劇場通いが習慣化し、多様な作品に触れることができた。
4. 作品情報の収集方法
劇場公式サイト
各劇場の公式サイトのAgendaで、年間シーズンの上演作品と詳細情報を確認できる。「language no problem」でソートをかけると、オランダ語が分からなくても楽しめる演目を見つけられる。
Theaterkrant
1978年創刊の演劇専門誌で、全文オランダ語だが、批評、インタビュー、業界動向に関する記事を、紙媒体だけではなくウェブサイトにも掲載している。特に優秀・注目作品のレビューには金のダイヤモンドマークが付くため、話題作を比較的容易に発見できる。
フェスティバル
What You See Festival、Spring、Holland Festival、Julidansなど多様なフェスティバルが開催される。関心のあるジャンルに近いフェスティバルの参加アーティストを辿ることで興味深い作品を発見できる。
また、毎年9月第1週に開催されるNetherlands Theater Festivalでは、前シーズンの高評価作品がアムステルダムで上演される。今年はKyoto Experimentでも上演されたJaha KooのHaribo Kimchiや、以前のブログで言及したNITE + Club Guy & RoniのNACHTWACHT、Melyn ChowのShaking Shameなどが選出されている。
さいごに
オランダは観劇文化が日本よりも明らかに盛んではあるが、やはり国土は小さいので、話題のアーティストやその人脈のようなものもそこまで広くはない。そのため、もちろんきっかけは必要だが、theaterkrant を読んだり、いくつか作品を観ていくと、アーティストの作風の傾向やどの学校出身であるかという関係性がかなり見えてくると思う。オランダに留学することはあまり気軽にオススメできないが、このブログが面白く読まれるだけでなく、オランダで暮らす・滞在する方の役に立てば幸いである。
*1:https://theaterencyclopedie.nl/wiki/Aktie_tomaat
*2:オランダはAcademy of Theatre and Danceにマイム科があることからも明らかなように、その他のコンテンポラリーダンスと関わりながらも独自にマイムの文化が発展している。近年話題の作品を創っているアーティストやユニット、Sue-Ann Bel、Melyn Chow、BVDSなどもこのマイム科出身だ。
*3:オランダのキャバレーは社会風刺を含んだ歌と寸劇によるコミカルなショーを指す。https://theaterencyclopedie.nl/wiki/Cabaret
シルヴィウ・プルカレーテ演出『ファウスト』観劇ガイド

シルヴィウ・プルカレーテ演出の『ファウスト』は、2007年に初演されて以来、2009年のエディンバラ国際演劇祭等での上演を経て、現在(執筆時2025年)までレパートリーとして上演が続いている、まさにシビウのラドゥ・スタンカ国立劇場を代表する作品だ。その作品の規模からツアーを行うのは困難で、基本的には廃工場を改築したファブリカ・デ・クルトゥラのファウストホールで上演されている。
キャストは、ファウストをミクロシュ・バーチ(Miklós Bács)(当初はイリエ・ゲオルゲ(Ilie Gheorghe))、メフィストフェレスをラドゥ・スタンカの看板女優オフェリア・ポピ(Ofelia Popii)が演じる。特に、オフェリアはその低い特徴的な声を使って中性的な魅力にあふれたメフィストを熱演している。その他にも、コロスとしてラドゥ・スタンカ劇場の俳優やルチアン・ブラガ大学演劇科の学生を含んだ総勢100名程の演者が登場する。
私は毎年シビウに来るたびに観劇しているが、演劇祭の最終日に上演されることによる疲労と、階段や客席の横で見ることによる見切れ、そしてスペクタクルに圧倒されることで、毎回記憶を失い、ろくに感想を残してこなかった。また、この作品はエンターテインメント寄りであるため、オフェリアの熱演に感嘆し、ラドゥ・スタンカの推し俳優達を見つけることに躍起になり、内容を批評するということが難しかった。
しかし、四回目の今年はただの観光客として作品を振り返る時間もあり、さすがに何か書けるのではないかということで、筆をとった。批評でも感想でもなく、ただ劇中で何が起こっているのかということと、それに対する分析や解釈を書いていくので、ガイドと名付けている。ほとんどネタバレしかないので、『ファウスト』を観劇した人の復習に役立つかもしれない。
なお、一度もきちんと予習をして臨まず、劇中の字幕も読み切れていなければ、上演中にメモを取ったりもしていないので、特に出来事の順序など間違いがあると思う。もし今まで観劇した人や、『ファウスト』自体に詳しい人で、ここは違うんじゃないかといった意見や感想があれば、ぜひコメントを残してほしい。
今回このブログを書くにあたって、新潮文庫の高橋義孝訳を参照している。
第一幕
まず、マフィアのような白いスーツを着た人物(Cristian Stanca)が観客席の階段から登場し、舞台に張られた白い幕を引いて上演が始まる。彼の役名は、オオカミ(The Wolf)で、ほとんど喋ることはないものの、司会者、作品の導き手、悪魔の親玉のような役割を体現しており、後のワルプルギスの夜や作品の終盤などでも(黒い蜘蛛を肩に載せて)しばしば登場する。
舞台は、ファウストの部屋、または老朽化した教室のような場所で、古い新聞や汚い洗面台、骸骨の模型などがある。病的な見た目の学生たちが、パソコンを使って作業をしている。これらの舞台美術のデザインは、ヘルムート・シュテュルマー(Helmut Stürmer)によるものだ。
最初から上手の上方にメフィストがいるが、これは原作の「天上の序曲」でメフィストが空の上からファウストを観察し、悪の道に引き入れることができるかを神と賭けているシーンで、実際に部屋に登場しているわけではない。
この最初のシーンで、ファウストは少女に注射を刺して、その死体を床下に埋める。しかもその後も床がガタガタと動いたり、そこから何本ものろうそくが出たりするので、彼が実験のために人を殺めているということが示唆されている。原作でも「市門の前」での弟子ワーグネルとの対話の中で、ファウストは彼の父親と共にペストの流行を抑えるために薬を作り、しかしそれが毒薬で何人もの人を殺してしまったということを告白している。今回の演出では、よりそのようなファウストのマッド・サイエンティスト的な一面を取り上げ、強調していると考えられる。
その後、ファウストは生きる楽しみを見失ったと語り、褐色の毒薬を飲んで自殺を図ろうとするが、観客席の後方から聞こえてくる復活祭の聖歌の合唱を聞いて思いとどまる。
メフィストの登場
ファウストが、玄関の門の上にスプレーで星形の魔除けの印を書くが、一部線が合っていないことで、メフィストの侵入を許してしまう(出ることはできないので後に悪霊の一人に火を噴いてもらい、門を破壊する)。
原作では、メフィストは犬としてファウストに近づくが、舞台でも黒い本物の犬が走り、クローゼットに入ったかと思うと、そこからオフェリア演じるメフィストが犬のような首輪と鎖をつけた姿で登場する。その後、大量の悪霊の群れのコロス(高橋訳では霊たち)が音楽と共に観客席の三方の通路から勢いよく登場し、色々あってファウストはメフィストと契約を結ぶ。
ファウストの若返り
契約後、まずメフィストは若返りの薬をファウストに提供することになる。原作では、魔女の厨房を訪れて分けてもらうのだが、今回の演出では逆に魔女が訪ねてきて、メフィストに口腔性交したあと小便をして、それが若返りの薬となる。これを飲んだファウストは、青いシャドウ、口紅、チークなどでメイクアップされ、これが若返ったということを示している。この時、顔を見るために、なぜか鏡ではなくiPadを使っていて、何らかの文書が画面上に表示されていたのだが、実際何を読んでいたのかは不明である。
若返った後、7人の少女によって表現されるマルガレーテが観客席の階段から登場し、舞台奥に消えていく。そこでファウストは彼女に目をつけ、メフィストに仲介を頼む。この時、中央の可動ステージが奥方向へ移動し、舞台床面に谷間のように通路ができている。この可動ステージが戻ってきた時、その上にベッドが新たに置かれていて、マルガレーテの寝室に場所が移動したことを表現している。
原作にもあるように、メフィストがファウストに頼まれてマルガレーテへの贈り物である宝石を準備したり、厳格な母親に睡眠薬を盛ったりして、二人は関係を持つ(一瞬の暗転)。この演出では、メフィストがお膳立てをしている様がより全面的に出ていて、マルガレーテの身体を触って、一人のワンピースを赤く濡らし、処女であることを確認したようだった。この場面で、ファウストは、本当は若いイケメンになっているはずなのだが、実際にはおじさんがメイクをしているだけの状態なので、マルガレーテにちょっかいを出したり、膝に乗せている場面では、そのグロテスクさが視覚化されていた。
ワルプルギスの夜
明転後、ベッドの後ろ側に置かれている装置の黒いビニールの被せ物をファウストが取ると、大きなサイと二人の男女の貴族が登場し、またその部分が奥方向へ移動して、彼らが先導する形でワルプルギスの夜のシーンへと続いていく。
この貴族のような人達は、作品の冒頭から、ファウストの部屋を奥の窓越しに覗き見しており、ワルプルギスの夜の冒頭でも、悪霊たちを先導する。ゲーテもフランス革命を時代背景に、マルガレーテの宝石の贈り物のエピソードやワルプルギスの夜の将軍、大臣など旧時代の人々の会話を通して、教会や王侯貴族を批判的に描いてきた。ここからは私の解釈だが、プルカレーテは、その原作の要素を取り入れて、メフィストや悪霊たちのようなフィクション的な悪ではなく、現実世界に存在する悪として、そういった富裕層や権力者を描いていると感じた。実際にプルカレーテは以下のように発言している。
[Evil] will never disappear; it can only be made to wear the makeup of civilization. Wherever you happen to be, if you despise demons, they will come back. If I am involved in theater, it is because I wish to make the spectators face the monstrosity of our lives and have them contribute to exorcizing it*1.
[悪は]決して消え去ることはない。文明の化粧を施されるだけだ。あなたがどこにいようとも、悪魔を軽蔑すれば、彼らは戻ってくるだろう。私が演劇に関わっているのは、観客たちに我々の人生の醜悪さと向き合わせ、それを祓い清めることに貢献してもらいたいからである。 (Translated by Claude)
ワルプルギスの夜のシーンは、プルカレーテ演出版の一番の見どころで、観客は舞台下手か中央の通路を通って舞台の奥に移動して、様々なスペクタクルを目撃する。お勧めは舞台の下手側の通路に入ることだが、通路が非常に狭いのと中央の通路に人波が入ってしまうことで、かなり難易度が高い。私も4回目の今年に初めて入ることができた。もし中央に入ってしまった場合は、後方の階段に上るか前方を確保しないと、中央のたまりに行ってしまうと何も見えなくなるので注意が必要だ。
このシーンで説明することはあまりないが、ロックバンドの生演奏の中、魔女が豚と交尾し、火を噴き、ファウストやメフィストと踊り、空をフライングし、血みどろで豚を犠牲に捧げ、何かを盲目的に書きまくり…とスペクタクルに魔女の儀式が表現される。
上手側には、額縁舞台があり、原作でもワルプルギスの夜でファウストが見た、死人のような状態のマルガレーテの幻(灰色になっている)が登場し、彼女がファウストとの子供を殺し、死罪となって囚われているということが劇中劇形式で説明される。ちなみにこのシーンは、中央から入ると他の観客によってブロックされて見えず、今回下手側に入ることに成功して初めて存在に気づいた。そしてメフィストが(ファウストとマルガレーテの子供もしくはマルガレーテ自身の)命が失われたことを表現するようにスイカを床にたたきつけて割り、元の舞台へと戻っていく。
第二幕
原作の文庫版では2巻本の後半一冊分の分量があるが、プルカレーテの演出では2時間の上演の内15分程と非常に短く、原作の大部分が省略されている。
まず職人たちが、歌を歌いながら舞台上手奥でファウストが入ることになる棺を作っており、その作業音が響いている。この職人たちは、単に棺を作っているのではなく、原作でも登場する木こりたちや、ファウストの開拓事業に携わる作業員といった労働者の存在を表現していると思われる。原作でも、ファウストは最終的に都市の建設事業を始め、「干拓者として人類の未来のために働く行為の人となる」(高橋の解説より)。これは、貴族や王侯が出てくるそれ以前の場面と比べて明確なコントラストをなしており、労働者を賞揚する、どこかルーマニアの現代史、社会主義の名残を感じさせるメッセージを発している。前述のワルプルギスの夜のシーンで、悪霊たちが貴族が乗っていたサイを逆さ吊りにして喜んでいたようなので、王侯貴族の時代から、その様な価値の転倒もしくは革命が起き、労働者の時代へという展開が読み取れるかもしれない。
その後、原作にもある、欠乏、罪科、憂い、困窮の四人の灰色の女が、長身の男性俳優による異性装で登場し、ファウストは目にガムテープをつけられて盲目になる。
また順序は曖昧だが、ここで顔を骸骨のように塗って、黒いドレスを着た存在が中央の可動ステージに乗って登場する。これに関しては原作には見当たらないが、恐らく死の寓意的な表現であると予想できる。この死が、舞台上に置かれている模型から何か人のミニチュアのようなものを取り出す。この模型はファウストの舞台の模型になっていて、メタシアトリカルに、「この世界は全て舞台である」(シェイクスピアの言葉が基だが、同様の台詞がワルプルギスの夜の場面で使われた気がする)ということや、死や神の「全知」の前では一人の人間の人生は小さなものであるということを表現しているようであった。このメタシアター的な表現は、前狂言での座長や詩人による舞台上演の解説や、間狂言の劇中劇など原作でも用いられており、その要素を活かすとともに、このスペクタクルを少しだけ俯瞰し、異化するような機会が与えられていると感じられた。
そして、ファウストは「とまれ、お前はいかにも美しい」という契約時に定めた禁句を口にし、命を失う。メフィストは契約通り、ファウストの魂と肉体を手に入れるはずだったが、もたついているうちに天使たちがやってきて、悪霊たちと抱き合って和解し、ファウストを連れ去っていってしまう。残されたメフィストの悔しがる独白で作品は終了する。
映像資料
www.youtube.com公式のプロモーションビデオ、かなり最近のもので画質も良い。
https://www.youtube.com/watch?v=bXU78K6XSwg
少し昔の公式のプロモーションビデオ。
2:20の貴族が吊られる場面は私が見た上演では無かったような気がする(曖昧)なので、もしこのシーンが元々あったなら、このブログの解釈はかなり信憑性が高くなると思う。
ちなみに、この動画を上げているAdrian Matiocが私の推し俳優の一人で、『スカーレット・プリンセス』では桜姫付きの元女中、長浦を演じ、『ファウスト』では四人の灰色の女を演じ、『ヨナ』のルーマニア版で佐々木蔵之介の演じた役を演じる。
https://www.youtube.com/watch?v=i2NAeZEO89M
明らかに問題のある盗撮の映像で、2009年のものなので所々演出も変わっている。しかし、第一幕の犬の姿のメフィストから、悪霊たちの登場、窓の外にいる貴族、悪霊の一人が門を炎で破壊する様子などが映っている。
この時に、貴族が何を言っているかなどはこのブログに関係あるだろうが、全く覚えていないので、もう一度見ることがあればしっかり記録したい。
https://www.youtube.com/watch?v=QaOYNFExpkw
https://www.youtube.com/watch?v=UE-8B74qUCM
これも盗撮でダメだが、これは中央の通路から入ったパターンのワルプルギスの夜。The Wolf(狼)も冒頭に登場する。まさに中央の通路から入った場合の視点を映しているので、マルガレーテの劇中劇などは全く登場しない。
https://www.youtube.com/watch?v=yKPZsKf5g6I
第二幕の様子、四人の灰色の女の名乗りの場面と、「死」(?)の登場。
*1:Ludmila Patlanjogluによる劇評”The Apocalypse in Us: Purcărete’s Faust”(https://www.critical-stages.org/2/the-apocalypse-in-us-purcaretes-faust/)より引用
5月の観劇記録〜Springフェスティバルなど〜
修士論文から解放され、インターンシップの関係でNSという鉄道会社のサブスク(オフピーク無料)に加入した5月。これにフェスティバルシーズンが重なり、合計27本の作品を観劇した。
さすがに全作品の感想は書けないが、何を観たかという記録を残していきたい。 ちなみに、今月見た作品で最も良かったのは、ダントツでMarina OteroのKill Meだ。
① NACHTWACHT By NITE + Club Guy & Roni + HIIIT + Asko Schönberg + NKK NXT
老人ホームに預けられた老父を巡って三世代の家族の関係を描いた話。老父は昔亭主関白で、息子に体罰を振るったり娘に無関心だったりと、ろくでもない人物だったということが会話の中で示される。翻って、息子や娘も、お金を渡すだけで介護をしなかったり、さらにその孫に教育虐待をしていたりと家族の暴力の歴史や歪みが表出していく。
話の大筋は大体こんな感じなのだが、老父の悪夢もしくは死を表現するような狂言回しや老人ホームの職員、コロスを含めて舞台上に総勢20人以上が出演する。ダンスや歌が取り入れられて不思議と(不必要に?)豪華で3時間超えの長い作品だった。プルカレーテのファウストを観て影響を受けたのではないかと思われるシーンが多々あるが、商業でやるアングラ芝居のような雰囲気でどこか「綺麗」で「清潔」なままだった。
②Kamp By Hotel Modern
2005年に初演され、日本でも2010年に来日した人形でアウシュビッツ・ビルケナウ収容所でのホロコーストを再演する作品。 人形で作り物であることは明らかなのに、暴力を振るう音などがかなりリアルで、あともう少しで本当に気持ち悪くなってしまうかもしれないというギリギリのところで終わった。
www.youtube.com③Mantike by Benjamin Abel Meirhaeghe /Toneelhuis
チェルフィッチュ『消しゴム山』の西洋美術&クイアバージョンといった趣で、人と物(舞台美術)を平等に扱うことを目論んでいるように感じた。モノローグ作品。
vimeo.com④Shaking Shame By Frascati coproductie CAMPO / Melyn Chow
シンガポール出身のパフォーマーMelyn Chowによる作品。舞台は、鏡になっている四角い床面を観客が囲む形式で、Chowを含む5人のダンサーが完全に全裸でパフォーマンスする。性器があけすけに向けられるのでどぎまぎしていると、ダンサーの人がかなり挑発的にしかし楽しそうにこちらを見てくるのでさらにどぎまぎしてしまった。
ちなみに、インターンを初めてちゃんと理解し始めたことだが、オランダはマイムの文化が盛んで、この作品に出演しているパフォーマーもダンスというよりも、マイム学科を卒業している。
⑤On Smoke and Airconditioning By Gerben Vaillant & Fleur van den Berg / Frascati Producties
⑥リヒャルト・ストラウス, Die Frau ohne Schatten(影の無い女)By National Opera and Ballet
Marc Albrecht指揮、Katie Mitchell演出。 過去の女性蔑視的な内容を含む内容をKatie MitchellがフェミニストSF的に演出している。例えば、皇后や乳母といったキャラクターの周囲では、動物の頭を被ったカイコバードとその手下が銃を向け続けていて、彼女らの選択は実際には彼らの圧力によるものであるということが視覚的に明確に示されていた。
しかし、Mitchellのリアリスト的な演出(例えば影がないとぼかされている所が不妊と明確化され、エコー検査がしばしば登場する)が、ホフマンスタールのロマン主義的な作風にあまりはまっておらず、結局リアルにしてしまうと納得できない部分が多かった。
当日券で一等席をたったの20€で買えたのは非常にありがたかった。あと不思議と日本人の観客が沢山いた。
⑦Battlefield of Dreams By Theater Utrecht / Floor Houwink ten Cate
様々な人が出産や不妊、中絶について語る映像に合わせて、ダンサーが踊る作品。
⑧Techlab: Making new opera with a robot By Ulrike Quade Company
ユトレヒト大学の演劇学科のボス、Maaike Breaker先生が行っているロボットと演劇に関わるプロジェクトの一環で、工業用のKukaロボットを使ったオペラ作品のトライアウト。 ロボットがアームを動かす時の音をオペラにするという構想自体は面白いが、結局ロボットが舞台上にあるという視覚効果以上のものをパフォーマンスで見ることはできないといった印象。
また、一部のシーンの抜粋だからかもしれないが、Oritoという人形の出番が少ないのも残念だった。上演は2027年になるようなので、これからよりブラッシュアップされていくのだと思う。客席には印象的な髪型のピーター・セーラーズがいた。
【クンステン】
ここで一日だけクンステンin Brusselへ、12時にあったCarolina Bianchiの詩に関するトークイベントで、Bianchiの作品を理解する手掛かりになるような話を聞くことができて、しかも直接サインを戯曲に貰うことができて(ミーハー)最高だった。日本の関係者っぽい人が沢山いたので、是非日本に招聘してほしい。
街でレインボーを身につけている人が多くいたので、調べてみるとプライドパレードをやっていた。ハンガリーやルーマニアなど母国でプライドが禁止されていたり、自由に発言することができない人がスピーチをしていて、これも最高だった。当然Free Palestineの声も上がっていた。
この次の日曜日にはレッドラインという大規模な親パレスチナのデモがオランダであったのだが、この時には既におそらく行けないだろうと薄々感じていたので、その罪悪感、また最近の大きな無力感というのを、マーチに加わり連帯することで少しだけ解消することができた。
⑨『キティ』 市原佐都子/Q
高嶋さんの劇評がすごく充実していて、もう足すことは無いのでは…?と思うので、貼っておく(https://artscape.jp/article/33908/) 。
今までの原作がある作品に比べると、性売買や日常の性の商品化といったトピックにあまりに慣れ過ぎてしまっていて、それのみで勝負されると(もちろん日、韓、香港の俳優を使っているといったところなど特色はあるが)もちろん予想できないはずなのに、どこか予想できてしまうような感じがした。
また、今までの作品では倫理を問うような、すごく挑発的な表現が多かったが、この作品ではそれがキティと肉人間になることによって、そもそもファンタジーなのだがさらにファンタジー色が強まり、あまりヒリヒリしない感じがした。より過激で珍妙なものを求めてしまうのも良くないかもしれないが…。
⑩Delirious Night By Mette Ingvartsen
夜の夏祭りのようなセットで、クラブ的な宗教的な雰囲気でダンスを踊る
【Springフェスティバル】
Springは国際的なパフォーミング・アーツフェスティバルで、私の大学のあるユトレヒトを舞台に10日間開催された。芸術監督は、ポーランド出身のGrzegorz Reskeで、今年のテーマは、「WE ARE EXHAUSTED」(私たちは疲れ切っている)。
先に言ってしまうと、キュレーションが上手くいっている、もしくは地域を巻き込んで盛り上がっているとはあまり感じられなかった。もちろんそのような動員数で成功、不成功を図ったり、お祭りをブチ上げるのはもう時代遅れでやめていこうというコンセプトなので、意図的なものであったのかもしれないが、それにしても、観客としてあまり面白くなかった。
⑪Magic Maids By Eisa Jocson & Venuri Perera
ほうきが舞台上に並べられていて、それをかなり長い間二人のダンサーが足の間に挟んで、魔法使いごっこのような状態で進んで行く。前半は全く喋らないのだが、途中で急にしかもかなり饒舌にフィリピン/スリランカの家政婦を雇うべきだということを皮肉交じりに話始め、そこまで全く喋らなかった人物が急に喋り出すことに驚いた。そしてその喋らないものだと思い込んでいた差別的な想定そのようなものを批判していた。
⑫Wasted Land By Ntando Cele
前作の『SPAfrica』でJulian Hetzel(後述の『Three Times Left is Right』を手掛けたオランダで有名なアーティスト)とのコラボレーションで気候変動と植民地主義の交差する問題について扱っていたアーティスト。世界の終わりに生き残ったのが「黒人」の彼女だったという設定で進んで行く。アフリカの貧困や汚染に関する写真を写しだす、音楽性、ラップ、ビデオ投影、不条理ユーモアなど、彼女の作風とその魅力が十二分に感じられた。 前作の挑発的な部分は、Hetzelの作風かと思っていたが、Celeの作風にも元々そういう部分があるんだろうなということに改めて気づいた。
⑬RUNNER By Ira Brand / Frascati Producties
アーティストが会場から10㎞程離れたところから走って向かっていて、その音声をリアルタイムで聞き、最後到着したら終わるというパフォーマンス。 正直、何を言っているかよく分からないし(筋の無いモノローグが一番分かりにくい)、アイデアの面白さだけで観客がお金を払って観るものではないと思った。
⑭Call Me Jay By Agata Maszkiewicz
2人のダンサーが照明の機材を操作したり、その動きに合わせたりして踊るダンス作品。 これもMantikeと同じく新物質主義的な、ダンサーと照明を平等に、照明機材を人間と等しく扱おうとすることを目指してるんだろうと感じた。
⑮Kill Me By Marina Otero
Marina Oteroはアルゼンチン出身で現在はマドリードに移住している演出家、パフォーマー。この作品はFuck Me, Love Meといった前作に連なる「Remember to Live」のシリーズで、どれもOtero自身の人生を基にしている。 今作では、過去の不健康な恋愛などで境界性パーソナリティ障害の診断を受けたOteroが同じく精神疾患を抱えた四人の女性ダンサーとニジンスキー(と思い込んでいる?)ダンサーと共に作っている。
上記の経緯をOtero自身が近年撮るようになったという日常の映像や過去の家族写真から語り、全裸と印象的なかつらで銃を向ける群舞をした後、それぞれのパフォーマーがそれぞれの疾患や人生についてユーモアを交えながら語る。
そこにダンス、ピアノ演奏やバレエ、ローラースケートなどの要素があって、舞台芸術としての魅力が溢れている。 途中でOtero自身も言っていたような気がするが(あやふや)、舞台で何かを表現しても社会は良くならないという無力感がさらに募るようなこの状況の中でも、それでも舞台をツールとして選び、そこで全力を尽くしていて、根本にある舞台に対する愛を感じた。
⑯While Taking Shape By Amparo González Sola
Shaking Shameに出演していたパフォーマーが何人か出演していた。 観客に何かアプローチしているんだろうなということは分かったが、何を表現しているかは正直全く作品からは読み取れない。Theatrekrantという演劇新聞の劇評で、「戦争や無実の市民の虐殺の不正義について感じる無力感と向き合わせる」と書いていたがそんなことはパフォーマンスそれ自体では全く分からなかった。そして、こういう抽象度の高い作品の場合、劇評では「瞑想」と評されることを学んだ(でも観客は劇場に瞑想しに来ているのか?今年のテーマと関連してのキュレーションなのか?)。
⑰Hot Walk By Keren Levi
気候変動に関する作品。舞台上にランニングマシーンが二台置いてあって、二人のパフォーマーがそれを使って歩きながら、ある女性のモノローグを語っていく形式。 正直、少しの振りや映像はあるものの、歩いているだけの状態を見ながらモノローグを集中して聞くことは不可能で、全く面白くなかった。
⑱UIRAPURU By Marcelo Evelin / Demolition Incorporada
舞台上でダンサーが同じ4カウントの左右に足を出す非常に簡単なステップを続ける。 もちろん他の動きもたまには出てくるが、基本これが一時間ずっと続く。 While Taking Shapeとは異なり、ブラジルのアーティストで、原住民の文化を表現していて、西洋の枠組みに当てはまらないドラマトゥルギーを模索しているということは明らかで、意図ははっきりと分かった。それは重々承知の上で、観客として面白くなかった。意図的だとしても、こちらも金を払ってきているわけだし…この作品も劇評に「瞑想」と書かれていた。
⑲Off Spring
A Tribute to Everything That Breaks By Yoko Haveman
Time Not Lost By Nienke Coers, Freija Roos en Freke Vos
製作途中の作品の一部を観客が見て、フィードバックをするという取り組み。
Havemanの作品は90年代のエログロアニメで、女性が爆発するような暴力の被害を受ける映像を集めつつ、言葉にならないような痛みをどのように表現するのかを身体的に探っていて、面白かった。フィードバックが質問やその聞き方によってかなり方向づけられていて、その場のライブな交流が少なかったのは残念だった。
⑳Dubbelspoor By Beppie Blankert Dansconcerten
振付家のBeppie BlankertがCaroline Dokterと共に行う、40年前に上演したダンス作品の再演。観客の目の前が一面鏡張りになっていて、その観客席の後ろに駅のプラットフォームを模した長椅子が置かれた横長の舞台が置かれている。観客は鏡を通して後ろの舞台で踊るBlankertを見るのだが(もちろん後ろを振り返ることはできる)、照明の効果でそこにはいないDokter(鏡の後ろ側にいる)が、ふっと現れたり消えたりして、再演ということを抜きにしてもその効果が面白かった。
また、西洋で老いたダンサーを見ることは少ないので、不思議な珍しさがあった。待つことや消えたくなる衝動を扱っているようなので、若い身体で演じられるのとは、異なる意味も生まれそうで、元々の作品と比べて観たらより楽しめるのだろうと思う。
㉑Modesta (play of language & lips) By Anna Franziska Jäger & Nathan Ooms / CAMPO
Goliarda Sapienza The Art of Joy にインスパイアされたパフォーマンス作品。
㉒Into the Hairy By NDT 1 and Sharon Eyal Dance S-E-D
Sharon Eyal によって振り付けられたかなり商業的で大規模なダンス作品。前日までの観劇と全く違い綺麗で見応えはあるが、これはこれでどこか物足りないと思ってしまった。
㉓The Liminal By alaa minawi
レバノンとパレスチナにルーツを持つアーティストのインスタレーション作品。 「アラブ未来主義」をテーマに、あるコミュニティが紛争などから逃れ、壁の中で生活するようになったという未来を描いている。
観客は壁の中から語りかける声の元を探り、壁に耳をつけて、話を聞く。途中で、座って、手を壁に合わせて見て、ついてきてなどの指示があり、インタラクティブに交流することによって、すごくリアルなものとして体験することができる。
ユトレヒトでも、大学の図書館の中庭を一時占領したりと学生によるイスラエルによるジェノサイドに反対する運動は続いているが、大学側は警察を呼んで学生を排除し、しかもその際に暴力を振るうなどありえない行為を続けている。上演でもしばしばFree Palestineというメッセージが掲げられるが、そのように主張しても暴力を振るわれない場所として劇場が働いているのかもしれない…。
㉔Rapeflower By Hana Umeda
アーティスト自身が過去に体験したレイプ被害について扱った作品。自身で語ることの難しいトラウマや痛みを、例えば西洋美術に描かれたレイプ被害者の女性を身体に映し出したり(Artemisia GentileschiのLucretiaなど)、長らく習っているという地唄舞の基本的な動作の流れを何度も何度も繰り返すことによって、表現そして昇華しようとしている。
痛みを強く表現するというよりは自分自身の身体のエージェンシーをどこか他のものに明け渡すような、何か異なることに没頭するようなムーブメントを続けることによって、自己責任や自責の念といった感情を解放すると同時に、過去のレイプ被害を受けたアートの主題となった女性達やそれを描いたアーティスト、もしくは地唄舞をしていた女性達などとの身体を通した連帯のようにも感じられた。
㉕Three Times Left is Right By Studio Julian Hetzel
作品の最初にも流される、この作品のトリガーワーニングをそのまま引用する。
Blood, war, rape, censorship, oppression, repression, agression, deportation, fake news, strobe light, excessive use of strobe light, smoke, loud music, strong language, abusive language, offensive lanuage, inappropriate language, racist jokes, homophobic jokes, hate speech, nudity, violence, emotional abuse, disturbing images, AI generated images, pornographic images, sexual assault, dubious consent scenarios, non-consenual interaction, discrimination, black facing, red facing, toxic masculinity, mansplaining, white privilege, stereotyping, binary stereotypes, problematic representation of religious beliefs, purposeless destruction of domestic appliances, unsustainable use of resources, animal cruelty, non vegan food preparation, cannibalism, excessive use of blood, murder, amputation, loss of limb, silencing of obvious truths, social injustice, depression, divorce, dementia, ageism, physical assault, questioning of colonialism, mentioning of genocide, political correct language, wokeness, woke language, gender neutrality, gender diversity, inclusivity, people of color, feminist worldviews, systemic challenging of patriarchy, LGBTQ+ friendly theories, manipulative narratives, advocay for reparations and equity, awareness of intersectionality, attempts towards cultural sensitivity, post-capitalist theory, call-out culture, derailing of political ideas, triggering trigger warnings.
今月見た作品の内、5作品が完全なる全裸だったのだが、この作品が一番全裸である必要性を感じない全裸で、おそらくこのトリガーワーニングのための全裸だった。
実際のベルギーの俳優夫婦によって演じられるのは、左翼リベラルの知識人Helmut Lethen(86歳)と極右の知識人Caroline Sommerfeld-Lethenという対極の政治思想を持つ実際の夫婦で、そのイデオロギーの違いやそれを超えた(?)愛について挑発的な手法で探求している。( 例えば、夫役が手を怪我した時、包帯がナチス式敬礼の状態で固定されていて、観客に一人じゃ恥ずかしいからみんなもやってくれないかと頼んだりしてくる。)
色々あって最終的には妻が夫の肉を使ってソーセージを作り、それを二人で食べ、観客にもビールとソーセージを振舞って終わった。Hetzelは政治家が食事を食べている写真を集めているということを以前の講演会で話しており、今作の宣伝でも使っているので、何か政治的な分断の解決の糸口として食べることもしくはカニバリズムについて考えているのかもしれない…。

㉖Teenage Songbook of Love and Sex By Alexander Roberts & Ásrún Magnúsdóttir
リミニ・プロトコル的な、10代から20代の舞台俳優ではない若者が舞台に上がり、自分で作曲また作詞した、愛や友情に関する曲をソロやコーラスで歌うパフォーマンス。 パフォーマンスというよりも中高生の音楽発表会に来たという感じだが、こういうパフォーマンスはおそらく本番をどう見せるかよりそこまでのプロセスの方が重要なので、それでいいのだと思う。
㉗Renaissance By WAUHAUS
フィンランドのアーティストの作品。他の作品で異なる作品を評すのは良くないと思いつつ、ここでも言ってしまうとよりミニマリスト的なパパイオアヌー作品という雰囲気。
ノンバイナリーな雰囲気のダンサーが長髪のブロンドの鬘で西洋の女神のような雰囲気を出していて、合計4人のダンサーが出て来る。最後にはもう一人の長身でノンバイナリーな雰囲気のダンサーが牛の乳のボディスーツを着て寝転がり、他のダンサーが子牛のようにその乳首に吸い付いて、そこから水が噴水のように出続ける。
最後の噴水以外は、出産を表現しているのかなというような(二人のダンサーが体を合わせてその間からもう一人のダンサーが滑り出る)動きやかなり性的な体を絡み合わせるような動きが多く、今月はそういう性と喜びをテーマにした作品をたくさん見たので、少し食傷気味になってしまった。
ユトレヒト大学現代演劇・ダンス・ドラマトゥルギー修士 留学記(つらい編)
2024年の9月からオランダ・ユトレヒト大学の一年間の修士コースに留学している。
今までどんなに忙しくても少しは更新していたブログが止まってしまっていることからも明らかであるように、私が今まで所属したどの大学よりもカリキュラムが厳しく・忙しい。もちろんユトレヒト大学は、パフォーマンス学やポストドラマ演劇の研究では先進的で、良い環境でもあるのだが、このブログでは特に「ヤバい」&「辛い」体験を中心に、記録を残したいと思う。
この記事が、オランダ院留学を目指している人に現実的なアドバイスを提供するとともに、読者の憐憫と同情を誘うことを願っている。

ヤバい点①:学期が短すぎる&休みが無い
ユトレヒト大学は、セメスター制ではなくターム制を取っており、学期が4つに分かれている。そのため、1つの学期に3つの授業を取るのだが、どれも大体7回程で終わってしまう。中だるみなどはなく、短い期間で毎週課題提出が求められ、すぐに期末期間に突入してしまうので、単純にセメスター制に比べて負担が倍になっているように感じる。
また、休みはタームの間に1週間のリフレクションウィークとクリスマスに3週間の休みがあるのだが、修士論文やインターンの準備などでほとんど無いに等しい。
ヤバい点②:修士論文を10週間で書かなければいけない
ターム3、4は授業が無く、修士論文とインターンをすることになっている。もちろんターム2から準備をする授業はあるのだが、本格的に執筆できるのは10週間である。学部時代は大体3年かけて卒論発表を繰り返してコツコツ完成させたので、理解しがたい短さである。
しかもターム2の終わりに修論の計画書を提出しなければいけないのだが、ここでもしFailになると修士論文を書けない=卒業できないことになる。とはいえ誰もFailにならないと思うだろうが、日本ではないので、バンバンFailになり、私のコースや隣接コースを合わせて5人以上が落とされた。その後、期限内に書き直せば合格できるのだが、そもそも全体で10週間しかないので、少しのスケジュールの遅れが命取りになる。
また指導教員決定のプロセスが不透明で、こちらの研究テーマや希望を全く聞くことなく、勝手に決められたのも不満に感じた。結局は優しい先生で良かったのだが、最初聞いたときはそもそも一度も会った事の無い、全く関係の無いオランダのコメディを研究している先生であったため、不安しかなかった。
ヤバい点③:インターンシップもしなければならない
なぜ修士論文をこんなに急いで終わらせないといけないかというと、同じく420時間分のインターンが卒業要件の一つになっているからである。しかも、インターンは基本的に自分で探す必要があり、この職探しの段階が非常につらい。オランダ人は英語が非常に流暢であるとはいえ、演劇関係の英語のみのインターンシップは非常に数が限られている。
私はSPRINGやJuli dansという国際的なフェスティバルのインターンに落ち、その後、飲み会で先生のコネを聞き出す、先方の親戚が日本人の私と同じ名前の人と結婚している、研究内容が非常にマッチしているという奇跡の3連単でAcademie voor Theater en Dansというアムステルダムの芸術大学に勤める衣装・舞台美術家に拾ってもらった。私は三つ目で内定し運が良かったが、もし見つからない場合は、志望理由書を書き、面接にも行き続ける必要があり、精神的にも、時間の兼ね合い的にもとてつもなく大変である。
また、インターン自体はそれをきっかけにして新たな人脈が広がったり、実践的な知識を学べたりして非常に楽しいのだが、研究の要素も取り入れなければならず、開始前の研究計画書に加え、その後のレポートも5000words(日本語だと10000字程)書かなければいけない。そのため、修士論文で使ったものとは異なる学術書や論文をまた改めて読んでいく必要があり、しばしば2つの修士論文を並行して進めているような気持ちになる。
すべてが一気にやってくる
恐ろしいのは、上記全てが同時並行で起こるということである。私は、ターム1の期末課題(3500wordsのレポート3つ)をやっている間に、問題の修士論文の指導教員が発表されたり、インターンをターム2の間に見つけるように指導されたりしてパニックになり、不眠になってしまった。
特殊なケースだが、そういった悩みを相談する先であるはずのコースコーディネーターの先生が幼児の育児で疲れ果てており、彼女自身が2時間しか寝ていないということを日々公言していたため相談しにくく、カウンセラーもうっすら差別主義者だったので、力にならなかった。これに加えて、冬の天候と、家の目の前で朝7時から工事が始まるという悪条件が重なり、修論の2章を書き終えて終わりが見えだした3月まではずっと緊張状態で、睡眠の質が最悪だった。
全員鬱傾向
問題なのは、これが私一人の特殊な事例ではなく、コースメイトの多くが同じようなメンタル不調に悩まされていたということだ。
ただ、11人の同級生の内、2人は修士論文だけに取り組み、インターンを来年度に持ち越して卒業を延期することを決めている。そしてその他の2人は、まだ決めていないとは思うが、インターンが忙しいためにまだ論文の第1章も書きあげておらず、確実に卒業を延期するだろう。そして同級生の内3人は元々パートタイムで論文もしくはインターンしかやっていない。つまり、上記のスケジュールをボロボロになりながら1年でこなすのは最大でも3~4人程度で、その他の3分の2は何らかの形で卒業を延長している。
これは彼らがヨーロッパから来ていて授業料が私より10分の1程であるからできることであり、アジア人貧乏留学生には取れない選択肢である。しかし、そもそも延長前提のカリキュラムというのは、その設計自体に問題があるのではないだろうか…?

さいごに
もしこのことを知っていたらどのような準備をしたかというと、英語力をもっと集中的に高める、修士論文のリサーチを進めておく、理論の勉強をしておく位しかなく、どうしようもない忙しさなのだが、こうなる可能性もある・厳しいよという注意喚起ブログである。
なお、コースによってこの忙しさは全く異なり、インターンが必修ではないコースも多い。また、右翼政権による影響もあって、英語で開講されるコース自体が減少していくようで、私の所属するコースも来年からカリキュラムが大きく変更されるようだ。
私もこのブログを書いている段階で、すべてが終わったかというとそうではなく、修士論文の最終チェックを受けての修正と、インターンシップの様々な準備からの現実逃避をしている状態だ。5月、6月は観劇の予定も入り依然として忙しさは変わらなそうなので、無事卒業することを目指して頑張りたい。卒業し、全ての辛いことを達成感で忘却した暁には、留学記(良かった編)も書こうと思う。
P.S. 映画の影響か、イギリス交換留学中に書いた『Wicked』のテンション低めのブログのアクセス数が非常に伸びているが、現在は上述した通りコースにアジア人一人の状況であるので、エルファバと立場が重なるようでめちゃくちゃ泣いた。ここでもイギリス交換留学と比べた環境の厳しさと、その時のテンションで全く受け取り方が変わるというのをしみじみ感じている。
9月に観た演劇作品:『Haribo Kimch』、『Woman in Troy』、『Bitemarks on her tongue』等々
ツイッターに書くのも気が向かなかったので、簡単にこちらで観劇した作品とその感想をまとめていく。
Futurist『ZUAM』 @Het Huis Utrecht
Gaudeamus festivalという最先端音楽のフェスティバルのプログラムとして上演された新しいオペラという触れ込みの作品。まず最初は、自分のお気に入りの石を選ぶように指示され、それを持って、聴覚障害を持つダンサーの後ろをついて20分近く街を無言で歩く。その後、ブラックボックスに舞台を囲むように客席が配置されており、真っ暗な中非言語的な声、うめき声や息遣いが聞こえてきた後、三人のオペラ歌手が登場し、ダンサーと共に何らかの儀式をする。
この儀式というのが、未来や古代の儀式と言っているが、様々なアジアや原住民族の非言語音楽をミックスした音楽を使っており、陳腐で、文化盗用のきらいがある。また、ダンサーが聴覚障害を持つということが前半には手話を使った案内や、静かに歩けと指示されることで強調されるにもかかわらず、劇場に入って以降は全く生かされることがなく、社会的な問題提起等に全くつながっていなかった。もちろん何らかの意味がないと雇用してはいけない訳ではないが、前半からの落差やテーマ性の希薄さに驚いた。
さらに、最初に石を選ぶように指示され、大切にするように指示された点や、客席が舞台を囲むように配置され、段差が無く、観客の後ろにもLEDライトが配置されているという舞台空間の点から、一見観客参加型のようである。しかし、パフォーマンス全体を通して、パフォーマーがこちらにコミュニケーションを取ろうと働きかけることは無く、唯一オペラ歌手たちが一部の観客の石は回収するものの、それが作品の筋にまったく関係が無く、何にも活かされることが無かった。
こういう作品に限って、2時間半以上上演が続く。ポストドラマ演劇っぽく見せつつ、明らかにドラマや展開があり(これは先生の指摘)、ただただ面白くなかった。また、カンパニーの名前から、イタリア未来派に関連があるのではないかと予想していたが、結局全くそんなことが無かったのも個人的に残念だった。
(作品と同じく、トレイラーも長い!この映像では観客がもっと少人数で、オペラ歌手が観客に直接喋りかけたりしているので、公演ごとの違いもあるかもしれない)
DOOD PAARD 『Women in Troy, as told by our mothers』 @Theatre Kikker
ポルトガル人俳優・演出家のティアゴ・ロドリゲスの脚本で、母親との個人的な話と織り交ぜながら、『トロイアの女達』をフェミニスト的視点で語り直すという作品。作品は終始パフォーマーが巨大な編み物をする中で進んで行く(母親のイメージと歴史を編むイメージを絡めている?)。ノンフィクションチックな母親との幼少期、また現在のやり取りがしばしばコミカルに描かれる。一方で、作品の主眼は女性の視点からどのように戦争を解釈し直すかという点にあり、特にパフォーマーの一人がウクライナ出身の俳優であることで、観客は現在のロシアとの戦争について連想するようになっていた。
また、あまり注意を向けておらず意味は分かっていないものの、後半に行くごとに、パフォーマーたちは鬘をつけたり、リップをつけたりしていき、より母親と同一化した姿に変わっていった。

Urland 『The Last Chapter』 @Theatre Kikker
観客は一人一人ヘッドホンを渡され、バイノーラル録音を使った3Dな、リアルな音声で進んで行く一人芝居。昏睡状態の俳優トーマス(バイノーラル録音の機械)にヘッドフォンをはめ、意識を覚醒させるためにドラゴンの盗伐、盲目の猫、魚との戦いなどが展開されていく。最終的には物語ることの重要さなどが語られていた気がする…が重要なのはとにかく物語では無く、映画のような(?)音響体験で、ドラゴンが頭の上を通っていたり、海の中に入ったりと新しいタイプの臨場感を感じた。
Compagnie Red Yellow & Blue『Who's afraid of Oscar Wilde』
タイトルと、クイアな話というだけでチケットを取ったが、全編ほぼオランダ語の珍しいほぼストレートプレイ。といっても、板付きで始まるし、役者ははけないし、役者のバックグラウンドもキャラクターに活かされていて、完璧にフィクションに没入するという雰囲気ではない。タイトルの通り『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』のクイアカップル版で、レズビアンとゲイの二組のカップルが、出産に関わる認識の違いや、出自の差によってすれ違い、罵り合っていく。会場は終始笑いに包まれていたが、大筋はつかめても、オランダ語のジョークは全く分からなかった。
Jaha Koo/ Kampo 『Haribo Kimchi』
Koo自身が韓国料理の屋台の店主のような設定で語る一人芝居。
前作のシリーズでも喋る炊飯器を用いていたが、今回も食のテーマが文化の違いや歴史、移民などの全てを繋ぐシンボルになっている。食にまつわる記憶は両面的で、不幸や差別、トラウマを呼び起こすようなものもあれば、家族との楽しい記憶、自分のルーツに繋がっているようなものもある。すべてが白黒というよりも曖昧で、流動的であり、それがKooの選ぶシンボルであるカタツムリ、ハリボー、ウナギにも、ディアスポラというテーマにも通底しているようである。
ポストドラマ演劇全体の特徴でもあると思うが、観客参加が重要になっている。(元々決められていた人ではあるが)観客2人が客席から選ばれ、舞台上で韓国料理を振舞われる客になるし、最終的には余ったお酒や料理がその他の観客にも配られる。そのお酒が配られるシーンでは、自分のルーツは自分で動かせる、人間はどこでも生きていける的なポジティブなメッセ―ジが同時に発信される。ここで、留学中の私は非常に心づけられたし、自分に向けられたメッセージのように感じた。ここは日本でマジョリティとして観ていたらまた全く受け取り方が違ったと思う。
途中途中で挟まれる、彼自身が作曲した初音ミク風の電子音楽も良かった。前作のシリーズ「Hamartia Trilogy」も見たい…。
Merel Severs/ Theater a/d Rijn 『Coerced and Freely Given』
ボクシングをモチーフにした女性三人のフェミニズム的な作品。
舞台上に黄色いサンドバックが6つほど吊られており、ボクシングのトレーニングをしたり、相手のお腹にジャブを入れて見たり、政治的なメッセージの書かれたTシャツを観客に配ったりする。彼女たちの言葉は様々なフェミニストの言葉の引用でできており、断片的で、確固としたストーリーがあるわけではない。
女性と暴力というテーマは私も関心があるし、見ていて退屈することは無かったが、あまり面白いとも思えなかった。女性達が苦しそうすぎるからなのか、何なのかその理由を考えないといけないと思っている…。

開演前の写真
Sue-Ann Bel『Bitemarks on her tongue』
今年のオランダ演劇祭でBNG Theatre Prize賞を受賞した注目の若手ダンサーによるソロパフォーマンスで、大枠としては人種差別で黒人女性が声を奪われてきたことや、ホワイト・ウォッシングについて扱っている。途中で鬘をつけてエクササイズ用の自転車に乗り、風に吹かれて、ビヨンセ風になったり、悲しげな場面で立ち位置を間違えるボケをかましたりと、めちゃくちゃコミカルでもあった。
オランダ語の台詞が聞き取れていないので、彼女の伝えているメッセージはこの作品の意図とは違う形で、まったく分かっていないのだが、それでも今まで観てきた中でも屈指の洗練されたソロパフォーマンスだった。また、この作品も、観客に風を当ててきたり、ある人に照準を定めて台詞を喋ったりと、非常に観客参加型だった。
来月は、もうすでに期末のレポートを書かなければならないというめちゃくちゃなスケジュールだが、Podium Passという演劇のサブスク(月額35€でほとんどすべての劇場に通い放題)にも入ったので、バランスを見つつ楽しんでいきたい。
進学前のあれこれ(雑記)
現代演劇について勉強するために、オランダのユトレヒトにやって来た。
ネットでどれだけ情報を上げるか悩み、ツイッター上ではまだぼかしているが、一年間の修士のコースだ。
全員合わせて10人前後の少人数のクラスで、アジア人が他にいなかったり、もう来月の末には3500words×2のレポートを提出することになっていたり、クラスが全てディスカッションだったりと不安なことしかないが、慣れていくと思いたい。慣れたころにはもう卒業しているかも...?
ユトレヒトの劇場は、市立劇場と、Theater Kikkerという小劇場がメインっぽいと感じる。その他にも、イギリスで馴染みのあるようなミュージカルの劇場もあるにはあるが、あまり主流ではなさそうだ。
どちらの劇場もラインナップはかなり豪華で、演目数も多いが、市立劇場はチケット代が最低でも30€位してしまうので、しり込みしている。Theater Kikkerを中心に見ていくことになりそう。あとはロッテルダムの劇場が、プログラムも値段もいいので、たまに遠征すると思う。11月にはQの『弱法師』もラインナップされていた。
授業で毎週位観劇することになるが、結構学費を払っているのに、チケットの補助が全然出ないことに納得がいかない…。チケットは自分で取る形式らしいが、例えば、Kyoto Experimentにも来る『Haribo Kimuchi』の該当日のチケットはすでに売り切れているが、大丈夫なんだろうか。
とにかく、このチケット代と家賃を賄えるくらいはバイトをしたいと考えている。ただEU外の留学生は、労働許可を職場側から申し込んでもらう必要があったり、16時間しか働けなかったりと課題も多い。ベトナム料理屋とサンドウィッチ屋に応募してみたが、個人経営のレストランは長時間、長期間働く人の方がよさそうなので、また代わりがたくさんいるチェーン店も応募してみよう。
最初の週は、レーマンの『ポストドラマ演劇』を読むのが予習だった。むしろこれまでに読んでおかないといけない必読書だとおもうが、何度も借りては返すことを繰り返し、きちんと読み通せたのは今回が初めてだった。元々、コースの先生から早めに必読書リストを入手していた為、日本語訳をスキャンして持ってくることができて、非常に助かった。翻訳をしてくれた先人に感謝。
修士論文を書ける気が全くしないが、とりあえず無事に卒業したい。
フランクフルトの演劇祭Sommerwelftでのボランティア記録
7月18日~8月15日までの約1か月間、ドイツ・フランクフルトのAntagon Theater AKTionという団体が主宰する演劇祭でボランティアとして働いてきた。
Antagon Theater AKTionとは、Bernhard Bubが1990年に設立した団体で、主にノンバーバルなサーカスやアクロバットといったパフォーマンスを公共の場で上演している。
パフォーマーやスタッフはドイツ、ブラジル、スペイン、フランス、イギリス、中国…と国際色豊かなメンバーで、全員で共同生活をしているのが特徴的である。コミュニティ・リビングや、そこでフラットな人間関係を築くというモットーが、非常に重要視されており、少し68年以降の前衛劇団に迷い込んだように感じた。
理念だけではなく、内装の雰囲気や、食事のタイミングがゴングで知らされることなども、さながら映像や写真で見た、ムヌーシュキンの太陽劇団やバルバの国際演劇人類学学校のようだった。実際に、ブログを書いている今分かったことだが、主宰のBernhardはリヴィングシアターや太陽劇団に影響を受けたと明言している。

演劇祭Sommerwelftについて
7月26日から8月11日までの17日間開催された、鑑賞料無料の野外フェスティバルである。2000年から毎夏開催されており、今年で24回目であったようだ。フランクフルト中心地のマイン川沿いに、野外ステージやテント、出店などが設営され、そこで、ダンスや演劇、音楽のパフォーマンスやワークショップなどが行われる。
例えば、日本の舞踏ダンサーのソロ上演や、ダンスナイト、クイアナイトといった3~4団体が小作品を発表するステージ、子供向けのサーカス、またAntagonのパフォーマンスなどがあった。

まず、印象に残っているのが、LAS MARIKARMENで、ギターなどではなく、サックスやクラリネットを使うので、クイアでキッチュな三人スカパラというイメージのスペインから来たバンドだ。音楽がカッコいいのはもちろんのこと、スペイン語で歌っているので、節々の固有名詞しか聞き取れなかったが、フェミニズムでクイアなメッセージやパレスチナ支持といったメッセージを表明していた。それに対してフロアがめちゃくちゃ沸いていたのも、連帯感があった。

また、主催のAntagonの演目が4作品上演される中、最も良いなと思ったのは、『PACKAGE』という作品だった。この作品は、竹内秀策というアムステルダムを中心に活動するダンサー・振付家による共同演出作品であり、現代のビジネス街で働くストレス社会のようなものをテーマにしていた。Antagonのパフォーマーたちが、スーツを着て、机の上で揃ったダンスやアクロバットを繰り出すのが非常にかっこよかった。

その他の作品は、移民、流浪、差別、政治問題が根底にあり、衣装や化粧の雰囲気も、竹馬みたいなのに乗る、アクロバットをする、炎を使ったアクロバットといった流れもどこか似通っていて、驚きがあまり無かった。最後の作品の「TRAUM EINER SACHE」は、激しく、製鉄所に来たのか位の炎が使われ、火の粉も降って来たので、その過剰さはスペクタクルで良かった。

暮らし・仕事について
宿泊したのは、「オレンジバス」というバスで、そこを女性7人でシェアしていた。バスと言っても、私はシングルベットで寝起きしていたので、生活時間のズレによる騒音以外はそこまで問題がなかった。
演劇祭前後には、毎朝9時や10時にミーティングがあり、そこで挙手制でその日の仕事内容を決めるというルールだった。仕事としては、朝昼夜それぞれの調理、共有部分の掃除、演劇祭会場の設営、衣装・小物作成などで、この期間中は毎日異なる仕事を担当することになる。大体一日5時間程度は働くことになっていた。
ミーティングの前後には、ほぼ毎日参加者の企画するワークショップが開催されており、自由に参加することができた。私はあまり積極的なタイプではなく、トゥワーク(何故か)やヨガ、コンタクトインプロビゼーションのいくつかにしか参加しなかったが、もっとアーティストよりの人の場合、様々な体験ができると思う。
演劇祭が始まると、仕事は固定になり、私はラップステーションという、トルティーヤラップやサモサを扱うスタンドで働くことになった。このスタンドの責任者Aさんの人柄も仕事内容も好きだったのだが、何故か運営側も、他の参加者も一つのスタンドで固定するのではなく、他のスタンドに行かせたがる&行きたがるので、毎日シフトに経験者が集まるとは限らない。お客さんが待っている目の前で新人研修的なものをしなければならないというカオスが、最終日の夜シフトまで続いた。

私も一日だけ何故かクレープのスタンドで働くことがあったが、野菜のクレープに間違って次のオーダーのコンデンスミルクをかけるというやらかしによってレジ業務に集中することになった…(ラップステーションだったら間違えないのに)。
また、月曜日はいつもの責任者Aさんが休みなので、責任者Pさんが代理でやって来るのだが、その日に限って経験者が全く入っていないシフトになっており、シフトを変更して無理やり働くこともあった。この時はさすがに、未経験のドイツギャル二人に仕事の説明をしながら、なんでこんな異国でバイトリーダーみたいなことをしているんだという気持ちや、過剰に責任感を持ってしまっているんじゃないかという気持ちと葛藤した。

そんなこんなありつつ、過ごした約一ヵ月だった。
今までは、東欧の人と交流することが多かったが、今回は、イタリアやフランス、またスペイン、ポルトガル、チリ、ベネズエラ、ブラジルといった、南欧・南アメリカといった、ラテン系の人が多く、ドイツ語よりもむしろスペイン語に囲まれることが多かった。働いている時にも、ガンガンに曲をかけ、踊っているのに最初は慣れなかったが、結局は一緒に踊っていた。
今回のボランティアは、Workawayというサイトで見つけたものである、最初の登録料は7000円近くかかるが、それ以降は特に参加費はかからず、今回の滞在も食費も宿泊費も全くかかっていないので、円安のヨーロッパを安く乗り切りたい人にはお勧めだ。
演劇祭のボランティアは珍しいが、他にもファームステイ、ベビーシッター、サマーキャンプ、家のリノベーションといった様々なボランティアが掲載されている。
シビウ国際演劇祭 2024を振り返る
ルーマニアのシビウ国際演劇祭は今年31周年を迎える演劇祭で、今年のテーマは「Friendship」だ。10日間の演劇祭期間中に、82カ国の5000人を超えるアーティストが830ものプログラムを上演した。
前回までのように演劇祭中から丁寧にブログを書き始めることはできなかったので、印象に残っていることなどをポツポツと書き残していこうと思う。
★ボランティアとしての仕事について
私は、今回が3回目の参加になるが、3回とも、ある劇団の担当について、仕込みから上演までをサポートするというカンパニーアテンドを担当している。基本的な仕事(フェスティバル側からのバッグを用意する、書類にサインをもらう、ホテルの予約を確認する、バッジを回収するなど)は同じでも、通訳がいるか、字幕の確認がいるか、仕込みをどれだけ手伝うか、ケータリングが必要かなどは、その劇団ごと、その公演の規模ごとに全く異なる。そのため、同じカンパニーアテンドでもやっている仕事の内容はバラバラである。
今回は自分の担当したカンパニーに加えて、ヘルプ要員で中国のダンスカンパニーに一日だけ参加したり(ちゃっかり集合写真には映り込んだ)、担当していない日本のカンパニーに通訳要員、ヘルプ要員として一瞬入ったりすることがあり、様々な団体を体験することができた。特に中国のダンスカンパニーは、一回目の参加の際にキブツダンスカンパニーを担当し、孤独と無力感に打ちひしがれたファブリカデクルトラという会場での上演だったので、少しは役に立つことができて成長を感じた。ただ、この時の最後の仕事は、本番中に最前列から振付家のスマホで映像を撮るというもので、スマホの設定言語をわざわざ日本語に変えてくれる優しい振付家のために頑張りたかったが、人が入った劇場で、エアコンの利かない灼熱のルル・ホールで、手持ちで綺麗に撮影するのは非常に難しかった。こういう仕事も存在する。
その他にも、VIPアテンド、撮影隊、パフォーマンスのエキストラ参加、チケットのもぎりなどなど様々な仕事がある。今年は例年よりもエキストラに参加する人が多く、知り合いの参加する野外パフォーマンスを観に行ったり、行けなくとも写真や映像で確認するのは楽しかった。
★観劇について
今年は今までの二年間と比較すると、段々と観客が戻り始めており、空席を狙ってみようと思っても、ハイライトの作品や狭い会場での上演だと、入れないことが多かった。また運良く入れたとしても、観劇に集中することが難しかった。というのも、疲れて寝てしまうということもあるが、とにかく劇場内にエアコンが効いておらず、暑かったからだ。観客やパフォーマーの中にも救急搬送される人も多く、劇場内でバタンという誰かが倒れる音が聞こえることもしばしばあった。

そんな中でも、担当する劇団以外で最初から最後まで集中して観ることができたのは、主催であるラドゥスタンカ国立劇場の演目が多かった。特に、『Teorema』、『かもめ』『ファウスト』だ。
『Teorema』はEugen Jebreanu(イェウジェン・ジェブレアヌ)というルーマニア出身で近年はパリを拠点に活動している演出家による演出で、ピエール・パオロパゾリーニ監督の同名の映画の舞台化である。物語は、あるブルジョワの家庭に謎の青年が訪れ、その青年に、夫、妻、娘、息子、家政婦といった家族全員が魅了され、肉体関係を持ち、青年が去るとそれぞれ変容していってしまうというものだ。上演では最初に物語が説明されるものの、その後はほとんど言葉は用いられず、ただただ謎の青年と家族が触れあい、関係を持っていく様が描写される。イェウジェンの手掛けるほとんどの作品で舞台美術や衣装を担当している、Velica Pandruの舞台美術が非常に美しく、砂や車、ネオンライト、紗幕などがラテン、そして耽美な雰囲気を演出していた。
ラドゥスタンカの俳優陣の演技もよく、主役のGyan Rosのラテンで謎めいた雰囲気、『スカーレットプリンセス』で長浦をコミカルに演じていたAdrian Matiocのダンディな父親役、『ロミオとジュリエット』でロミオを演じたRadu Costeaが息子役として、めちゃくちゃな絵を描くようになったりと、いくつかの作品を観てきたことで、比較することができるのも面白い。特によかったのは、Antonia Dobocanで、ほぼ同世代なのだが、少しハスキーな声が魅力的で、様子のおかしい女性を演じさせると一級品であるような気がする。去年も『ロミオとジュリエット』で欲情し続けているキャピュレット婦人を演じ、この前日にも後述する『かもめ』でマーシャを激しく演じていた。

『かもめ』はDumitru Acriș演出。作品紹介の方でも言及しているが、毎シーズンオフェリア・ポピが重要な役を演じるチェーホフ作品が上演されており、前々回が『三人姉妹』、前回が『桜の園』、今回が『かもめ』である。ファブリカデクルトラで突き出し舞台のような形の舞台での上演で、作中のトレープレフとニーナの舞台を意識しているようだった。疾走感があり、急に舞台上で激しくこけるというのが将来への不安や上手くいかない雰囲気を醸し出していた。オフェリアがアルカジーナを演じ、その息子のトレープレフを、『スカーレット・プリンセス』で桜姫を演じるユスティニアン(以後ユスティ)が演じ、そのコンビネーションを味わうことができたのも良かった。ただ、ルーマニアは日本と同じく、演出家のハラスメント問題がまだまだ解決しておらず、この演出家も、私生活と稽古場での悪評(酒癖、深夜まで稽古を続ける)が私の耳にまでも漏れ聞こえてきているので、俳優達が心配である。

『ファウスト』はもちろん最高だった。毎回演出、例えばフライングの可動域などが変化しているような気がするのだが、現地の子に聞いてもそんなことは無いと言われるので、毎回新鮮な気持ちで観ることができているということだと思う。いつもボランティアということで無理やり入れてもらえるため、座席ではなく階段で観劇することが多く、舞台上に見えない部分はあるものの、階段でもオフェリアが演技することがあるので、間近で演技が見れて非常に贅沢だ。14歳のホストシスターがオフェリアの強火ファンなので自慢しておいた。
何よりも優先して観てほしいのだが、今後『ファウスト』を観る人のためのアドバイスを残しておくと、二幕のワルプルギスの夜の場面で舞台奥に歩いて移動するときは、早くも遅くも行き過ぎないことが重要だ。とにかく奥にいけというジェスチャーをされるが、奥に行くと何も見えないので、突き出し舞台のようになっている所のへりに待機するのが一番見やすいと思う。それかその場所を取れるかに不安がある場合は、中央以外にも下手の端の通路があるので、そこに行ってしまうとどこからでも見やすい場所を確保することができる。
その他にも、エマニュエル・ドゥマルシー=モタ原案の、『Poetic Consultations』という作品があった。公園や通りに白衣を着た俳優達がいて、一対一でカウンセリングをした後、その人にあったおすすめの詩を選んでもらい、朗読してもらえるというものだ。元々、ユスティのインスタグラムでこういう作品があるということは知っていたものの、ボランティアとして働いている間は難しく、ただのファンなので普通に一対一で話せる気がしていなかった。しかし、最終日にパッと時間が空いたので、勇気を出していってきた。
とはいえ、同行してもらった方のカウンセリングをみて内容を把握したり、ビビッて現地の友達にラインをして励まされたりしているうちにほとんど最終の時間になってしまい、焦りながら緊張しながらでめちゃくちゃだったと思う。無事ユスティに詩を選んでもらい、写真も撮ってもらえて、大満足だった。あとから考えると、今回の演劇祭ではそこを逃すと全く話すタイミングは無かったので、幸運だったと思う。
★シビウでの生活について
シビウではホストファミリーの家に滞在した。去年と同じファミリーなので、人見知りな私もやっと心を開くことができ、ファミリーからも去年とは全く違う性格(よく笑うし、ジョークを言う)という風に言われた。ただ、演劇祭期間中は、彼らが起きている時間に家に帰れたのは一回きりで、あとの九回は夫婦の寝室を横切り、一瞬でベッドにダイブするという日々が続き、朝もほとんど会わずに慌てて準備をして出ていってしまう。去年はそれでほとんど話せなかったが、今年は道端や劇場で会うことも多く、どんどん関係を深めることができたと思う。ホストマザーとは演劇の話ばかりしているが、彼女は保守的で伝統的な作品が好きで、私は前衛的な作品が好きなので、私が勧めた作品(ローザスなど)は大体不評に終わってしまう。ただ、作品の評判や裏話を聞くのは楽しかった。

また、演劇祭では劇場内の駐車場でクラブが開催され、毎年たくさん行ったり、行かなかったりする。今回は回数としては少なかったが、イギリスでの交換留学と『&Juliet』の観劇を経て、知っている洋楽が増えたこと、またある日本人ボランティアの方々が非常に盛り上げるのが上手かったこと、仲良くなったルーマニアの友達がほぼ毎日クラブにいたこともあり、クラブと良い付き合い方ができた。ただ環境が良かっただけでやっぱり苦手なのは変わらないので、この後行くドイツの演劇祭がとても不安である…。
全くまとまっていないが、ここらへんで締めようと思う。
来年もまだヨーロッパにいるので、観客としてであってもまた行きたい!
ただ、演劇祭が楽しすぎるがゆえに、就職もせずにのめり込んでしまいそうなので、そこには気をつけたい…。円安のヨーロッパは大変だ…。






舞台芸術に関するカーボンリテラシー・プロジェクトを受講してみた
マンチェスター大学での交換留学中、Cara Berger先生Henry Ajumeze先生が開講する「Performance and Climate change」という授業を受講し、その関係でCara先生が代表者を務める環境問題と演劇教育に関わるリサーチプログラムに参加することになった。そのプログラムの一環として無料で受講させてもらったのがカーボンリテラシー・プロジェクトだ。

そもそもカーボンリテラシーとは、「個人、地域社会、組織単位で、日常活動の二酸化炭素排出コストと影響に対する認識をし、排出量を削減する能力と意欲を持つこと」である。(カーボンリテラシー・プロジェクト,https://carbonliteracy.com/, 2022年)
カーボンリテラシー・プロジェクトは、このカーボンリテラシーの教育・普及などを目的として、2013年に設立されたカーボンリテラシートラストという法人団体によって、マンチェスターを中心に広まった。現在までに、7,573の団体の96,685人がこの講座を修了している(2024年6月12日時点)。特に、マンチェスターの芸術業界は環境問題に積極的に取り組んでおり、例えば大型商業劇場を除く劇場関係者(Home, Royal Exchange, Contact, The Lowry)は、ほぼ全員がこのトレーニングを修了している。
このプロジェクトでは、気候変動に対して対策を講じるためのトレーニングを受講し、課題を提出したら、カーボンリテラシーを身につけたという資格を得ることができるようになっている。特徴的なのが、資格を得た受講者は、訓練を受ければ自分自身でもWSをデザインすることができるということだ。そのため、各分野に特化した内容のトレーニングが作成・受講可能で、同分野であっても講師によっては異なる内容になっている。私が受講したのは、Cara先生が特に演劇やアート業界に焦点をしぼってデザインした講座である。
講座は、基本的な環境問題についての情報(温室効果ガス、カーボンニュートラルなどの用語、現状の排出量・温度上昇と国の施策など)を学ぶことから始まり、その後、より演劇業界にフォーカスした実践的な内容に移っていった。このブログでは、その具体的な内容の一部(Cara先生にも許可を得ている)を紹介していく。
(1)Giki Zeroのカリキュレーターを使って、二酸化炭素排出量を計算してみる!
日本語のサイトでも二酸化炭素排出量を測れるサイトはいくつかあるが、このサイトは計測するだけではなく、その後その排出量を減らすためにどのような取り組みをすべきか具体的に提案してくれる。実際の講座でもこの計測をして、他の参加者の値と比較しあった。私は、日本からイギリスへの長距離移動をしていることもあり、排出量は11,381kgで、平均よりも128%高く、その他のどの参加者よりも高い不甲斐ない結果となった…。

(2)芸術に関わる二酸化炭素排出について学ぶ!
Julie’s Bicycleという同じく芸術文化分野の環境問題に関する調査・教育・提言活動などを行っている非営利団体が他団体と共同で出した調査報告書(オンライン上で閲覧可能)には、以下のような具体的な数字が挙げられている。
・予算7000万ドル以上の平均的な映画制作のCO2排出量は2840トンと推定される。
・ロンドンの演劇産業は、年間50,000トンのCO2排出に関与しており、観客の移動はさらに35,000トンのCO2を排出していると推定される。
・テート美術館は、観客の移動が2億4千万トンのCO2、つまりギャラリーの総カーボンフットプリントの92%を占めていることを明らかにした。
・Spotifyは、2021年の二酸化炭素排出量を353,054トンと推定しており、排出量の42%はリスナーのストリーミングによるものである。
(‘Creative Industries and The Climate Emergency: The Path to Net Zero’, Julie’s Bicycle, BOP Consulting and Creative Industries Policy and Evidence Centre (PEC), 2022より抜粋)
特に、演劇に関わる分野では、国内・国際ツアー公演での移動、装置・衣装などの使用、食事や飲み物のケータリングなどでより多くの二酸化炭素が排出されると言われている。
(3)具体的な環境負荷低減に向けた対策について学ぶ(欧米の例)!
〇国際ツアー・移動
・とにかく飛行機の二酸化炭素排出量が多く、電車やバスの二酸化炭素排出量が少ない。そのため、特に短距離間や国内での飛行機の使用をやめ、別の交通手段での舞台装置や人の移動に切り替える。また、舞台装置を現地で作る、スタッフや出演者を現地で調達するなど、その場所の資源を使ってリメイクする方法を取る。
・ツアーの際には、一つの目的地を目指すのではなく、周遊で旅程を組むようにする。会場も、観客が公共交通機関のない辺鄙な場所にすると、観客が車で来るので、観客にもサステナブルな移動方法を奨励できるような場所にする。
・国際ツアー、コラボレーションの際にはZOOMといったオンライン上の通信サービス等を有効活用する。また、長期の滞在プログラムなど、その現地の環境と触れ合いながら長期的な視点でのプログラムを組むようにする。
〇舞台装置・道具の使用
・リユース・リサイクル・リフォームをする
・そもそも二酸化炭素排出の少ない方法で作る
(例)舞台装置家Tanya BeerのSTRUNG (THIS IS NOT RUBBISH)(2013)
埋立地のごみで舞台装置を作り、上演終了後は服に作り替えてチャリティーオークションで販売する。
(例)マンチェスターの映像制作会社Vector Studiosの美術部門、セットを段ボールで作ることで、93%の二酸化炭素排出を削減する。
(例)ケイティ・ミッチェルの自転車を使った舞台、舞台上の照明の全てを、自転車を漕ぐことで発生する電気でまかなう。

〇劇場としての取組み
・サステナブルな劇場に向けて
Be Lean(床とか壁の建築時の工夫によってあまりエネルギーを使わない様に)
Be Clean(あまりエネルギーを使わない様にサービスのシステムを向上させる)
Be Green(再生可能エネルギーを使う)
Support biodiversity and Reduce Waste(生物多様性を高める、ごみを減らす)
(例)マンチェスターのCONTACTという劇場は、自然の風が劇場内を循環し、換気する構造を有し、電力使用量を減らすことに成功している
(例)マンチェスターのHOMEという劇場は、屋上で蜂を生育している。(
https://homemcr.org/about/sustainability/our-bees/)
以上のようなことを学んだ後、レポートを提出し、個人と団体としての環境問題に対する行動目標を立てて修了となる。
私の立てた目標は、個人の目標が「ヨーロッパ国内では(可能な限り)飛行機を使用せずに移動する」というもので、去年はルーマニアからイギリスまでバスと電車だけで帰り、今回も同じくルーマニアから現状ポーランドまでバスで移動している。また、団体での目標が、「カーボンリテラシーについて日本で普及する活動をする」というもので、先月内輪の勉強会でミニ講座をしたのに加えて、このブログで目標達成できればと考えている。
この講座を通じて、舞台芸術に関わる具体的な事例だけではなく、環境問題に対する失望感や諦観をどうしたら無くせるかという思考・コミュニケーション方法も学ぶことができた。飛行機が環境に悪いからツアーは全てやめるべき、またどうやっても気候変動は止められないから何も考えずに消費してよいというような考えではなく、どのようにクリエイティヴィティと環境に配慮することを両立していくか、自分の出来る範囲のことをするか(日本からの飛行機は止められないから、ヨーロッパ国内では使わないようにするなど)を考えるのが重要だと学んだ。
今回はマンチェスターで学んだことを取り上げ、欧米の事例を多く取り上げてきた。日本ではまだまだこういった取り組みは進んでいないが、舞台美術家の大島広子さんがImage Nation Greenという団体を立ち上げ、イギリスの舞台業界の環境問題についてのガイドラインである、「シアター・グリーンブック」を日本語翻訳して、紹介していたり(https://theatregreenbook.com/japanese/)、京都芸術劇場春秋座のリサーチ支援型研究「環境配慮型の舞台芸術創作ための、国内の舞台芸術と環境についての基礎調査及び英国他ヨーロッパのサスティナブルプロダクションの実例調査」を実施されたりしている。私が紹介するまでもないが、ブログでは、他の団体がデザインしたカーボンリテラシー講座を受講された記録や(https://note.com/greentheater/n/nd5ded172d5f3)、ツアー公演でのカーボンオフセット(CO2排出を実質的に無くす)の事例紹介(https://note.com/greentheater/n/n0b618fcec330)などがされていてより勉強になるはずだ。