バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

ウェストエンド観劇①ー『Wicked』『One Woman Show』『Ruination』ー

初めてロンドンに行ってウェストエンドで観劇してきた。完全に観光モードで観劇中のメモもあまりしなかったので、このブログもただの思い出語りになる可能性が高いがせっかくなので書いていく。

『Wicked』

開演前の様子。当日券なのに意外といい席。

 当日の高速バスの中で、Today Tixでチケットを取った。Today Tixは毎日10時からその日の当日券を25ポンド位で安く販売してくれるし、アプリで全て管理できるのでオススメだ。その日は正直、『The Book of Mormon』を狙っていたのだが、先着順に敗れ、マチネがあり興味のあった『Wicked』を代わりに取った。ただ、興味があるといっても、小学生の時に劇団四季で見ていて大体知っている感じがしたし、新しいミュージカルでもないので安くはないチケットを買うまでにはかなり逡巡した。

 迷いながらも買って、近くのウェストミンスター寺院やバッキンガム宮殿の周りをウロウロした後、14時半からの公演を観にTHE APOLLO VICTORIA THEATREへ向かった。まず、ウェストエンドは初めてだったので、あの劇場自体が公演の雰囲気に染まっている感じが新鮮だった。あらすじは省略するが、『オズの魔法使い』の前日譚で西の悪い魔女エルファバが主人公になっている。今後の全てのパフォーマンスに共通することだが、舞台セットや照明効果は概してレベルが高い。専用劇場ということもあってか、意外と狭い舞台上にこれでもかというほど装置が仕掛けられているようだった。

 また、小学生で観た時はもちろん気づきようがなかったのだが、特に多国籍社会のイギリスで、様々な肌の色の俳優がいるステージを見ると、緑の肌をしたエルファバは、人種的なマイノリティを示しているという事は改めて強く感じた。エルファバ役のLucie Jonesの力強い歌声が良かった。

 一方で、段々変化していく部分が舞台の胆ではあるものの、善い魔女グリンダはステレオタイプ的なおバカなブロンドといったキャラクターで全然好きになれない。また、羽の生えた猿を全員肌が黒い俳優が演じるのはいいんだろうか、考え過ぎだろうかと思った。話を知っているミュージカルだとどうしても感動するか否かが演者の歌声や当日の客席の位置に大きく依存するなと感じている。

『One Woman Show』in the ambassador theater

劇場外観の様子、右手が「ねずみとり」の劇場。

それにまつわるジョークもあったが、アガサ・クリスティの『ねずみとり』がロングランで上演されている横の劇場。

Liz Kingsmanが創り、自身で演じている一時間ほどの一人芝居で、フリンジ公演などで話題を集めてウェストエンドにトランスファーされたらしい。

メモを取らなかったせいで、細かい部分をすっかり忘れてしまった&劇評を読んでみても一部ピンとこない、つまり英語力不足で全てを理解できていないので簡単に触れることにする。劇は、異化効果だろうか、メタシアター形式になっていて、スタッフのような人物が舞台に上がってきたりハプニングが起こる。『フリーバッグ』のパロディで、一人芝居で演じられる主人公は現代を生きる、しかも性格のかなり曲がった問題を抱える女性である。大枠はジョークを挟みながらコミカルに彼女が自身の生活について話していくというものだ。こういうコメディは理解が追い付かないところが多いので、笑えるところもあれば、頭にもやがかかったような状態の場面もあるという感じだが、最後の視覚的効果は私でもわかる面白さで満足したような気分になったので、私は本当に単純な人間だと思う。また、今作品のような元々小劇場で上演されていたようなものでも、装置や照明効果が洗練されていた。

 

『Ruination』in Royal Opera House

劇場外観。

この旅の一番の目的がこの公演だ。元々一月に行く予定で宿をとっていたのだが、エウリピデス『メデイア』の翻案作品であるこの作品がかなり評判が良く、12月末までだったので、急遽12月中にもロンドンに行くことを決めた。Lost DogというBen Dukeが芸術監督を務めるダンス、コメディ、演劇を中心としたパフォーマンス劇団による公演。

話の大筋としては、冥界にいるハデスとペルセポネーが、やって来たイアソンとメデイアを裁判にかけて、彼らの証言を確かめていくという裁判劇形式のメデイアという感じだ。一番大きな改変は、メデイアが徹底的に人間として描かれていることで、魔女や神的な要素は捨象され、最後の自分の子供を殺したということも本当はやっていないんじゃないか、イアソンの結婚式でメデイアが新妻を殺した(これもメデイアの陰謀ではなく夫に嫌がらせしようとして塗ったピーナッツバターに彼女もアレルギーがあって死んだことになっている)と思い込んだ大衆が彼等を殺したんじゃないかという解釈が示されることだ。

メデイア=人間とする解釈は良くあるし、イアソンがメデイアにDVなどハラスメントを行っていたというのをある種、告発するような話になっているのでフェミニズム的でもある。一方で、私個人の好みとしては、メデイアは魔女的に力を持っていてほしいし、復讐のために子供を殺してもいいし、最後には竜の車で天高く跳びあがってイアソンをコケにしてほしい。というのは、人間メデイアにしてしまう弊害として母性愛的なテーマになってしまうということがあり、今作もその轍を踏んでいたからだ。最後まで子供を守る母、子供を殺さない母、冥界にわたっても三途の川を渡れない子供を案ずる母というのはまあいいのだが、そういう母親像を望んでいるんだろうという男の製作者の願望が透けて見えてキショという気持ちになる。

後半の話に入るまでのハデスの面白いキャラクターや、クリスマス劇「くるみ割り人形」のジョーク、冥界に新しい登場人物が登場したらピンクの紙吹雪が飛ぶシュールさ、コンテンポラリーダンス、手前に四つ重ねてあるブラウン管テレビ、照明、装置、対位法的な音楽の使用、等々、演出・パフォーマンス全部よく、中盤までは良い翻案作品を観れたという気持ちが強かった。その分、終盤に向かうにつれ発狂しそうになり、光の中、メデイアがしっかりと「歩いて」来世へと向かっていく最後の場面では、「うわーやめてくれー」と叫びそうになった。

一番楽しみにしていて評判も良かった作品が、もやもやする結果で終わり、SNSで呟くほか上手く気持ちを処理することもできず、悶々とした。他の劇評も普段は参照するし、上演前には観ていたのだが、大絶賛の嵐だと逆に怖くなるので見られていない…。ここに貼っておいてまた落ち着いたら冷静に分析したい。

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