バナナの木

演劇学を学ぶ大学四回生です。自分の勉強のために観劇の感想を書こうかと思っているブログ

リヴァプール版?『トップ・ガールズ』

リヴァプールの中心街にあるEveryman Theatreでの上演。劇場の芸術監督も務めるSuba Dasの演出(この演目で男の演出家かという気持ちはありつつ…)。

劇場前に飾られているポスター。

 キャリル・チャーチルはいわずと知れた、代表的な現代イギリス劇作家である。社会主義フェミニズム的問題意識で、ブレヒト的な手法を用いた戯曲は面白いし、多くの演劇ファンからの称賛を集めているのも頷ける。個人的にも、『小鳥が口一杯』というエウリピデスのバッカイを基にしたマイナー作品で自主研究をしたこともあって関心が高い。

 今回は、彼女の代表作の一つである『トップ・ガールズ』が近くのリヴァプールで上演されるということで喜び勇んで観に行ってきた。ちなみに、本当はCloud NineやSerious Money、Skrikerがいいなとか、新作がいいなとかいうことが頭によぎったが、Top GirlsはNT版(2017)を映像で見たので比較できるし、松岡和子訳も読んで少々英語が聞き取れなくても内容が大体分かっているのでブログの書きやすさ的には良かったと思う。

 今回の上演は初演から40周年記念で、マーリーンの故郷で姉のジョイスが今も住んでいる場所が、もともとSuffolkと設定されていたのがリヴァプール(特に1980年代初頭に暴動が起きたToxteth?)に移されている。このリヴァプール版であるというのは宣伝でかなり強調されていたのでどのような変化しているだろうと楽しみだったのだが、方言や言及される地名が少し変わっているだけで劇的なものではなかったので残念だった。

 

多くの人が気になっているだろう配役と兼ね役について確認すると、以下の通りだ。

Tala Gouveia マーリーン

Alicya Eyo ジョイス(マーリーンの姉)

Saffron Dey アンジー

Ailsa Joy グリゼルダ、ネル(マーリーンの同僚)

Nadia Anim 二条院、キット(アンジーの友達)

Natalie Thomas(Elizabeth Twellsの代役) イザベラ・バード、キッド夫人(マーリーンの上司の妻)、ルイーズ(客)

Sky Frances 悪女フリート(ブリューゲルの絵の主題)、ショナ(客)、ジェニー(客)

Lauren Lane 女教皇ヨハンナ、ウィン(マーリーンの同僚)

Kaila Sharples ウェイトレス

 

 配役に関して明らかな意味はあまり読み解けないが、特徴的だと思うのは、初演からのマーリーンのみならずジョイス、アンジーも独立した配役になっており、それぞれ見た目が結構似ていて血縁関係があるんだろうということが外見的にも示されることだ。今回はリヴァプールのブラックコミュニティに取材をしたようで、その中心の3人もアフリカ、カリブ系の俳優によって演じられた。つまり、今回の上演では、女性の階級の問題だけではなく、人種の問題も表現することが目指されたようだが、ただ有色系の俳優を使ったからと言って自動的に意味を内包するようなものでもないと思うし、表現できていたかどうかは疑問が残る。

 トップ・ガールズ上演の際の問題の一つは、第一幕の歴史人物と第二幕以降を全て兼ね役にする場合、歴史人物の人種に合わせた配役にすると二条を除いてかなり白人中心の俳優になってしまうということがあると思う。また二幕以降のキャストと一幕のキャストで想定される年齢にも違いがあり、一幕に合わせるとベテランの、二幕以降合わせると若めのキャストになる傾向があるような気がする。日本のシス・カンパニーでの上演は前者で初演は後者だが、NT版では一幕と二幕の俳優は全く兼ね役にされていなかった。今回はその折衷案のような感じになっている。また、最初にアナウンスもあったのだがノンバイナリーの俳優が2人参加しており、その内の一人のSky Frances(they/them)はRADA出身でプロデビュー作のOutbox『Groove』も昨年観ていたので、引き続き活躍が見れて嬉しかった。フェミニズム演劇として、トランス・ノンバイナリー差別などへの反対の姿勢がしっかり示されているのは信頼できる。

第一幕、歴史上の人物の出席するマーリーンの昇進記念パーティーのセット。

 全体的に80年代が意識されており、衣装や装置は特にオフィスの場面で顕著だがレトロで可愛い雰囲気だ。一番見事だと感じたのはそれら舞台の転換で、休憩が挟まれる二幕終わりまでは全く暗転なしにパーティ会場から田舎の地下室、ロンドンのオフィスへと変わっていく。小劇場なのだが、上に吊りものとしてオフィスの机や椅子が吊られていたり、面接のシーンはせりが使われたりする事でスムーズで綺麗な転換になっていた。

 一方残念だったのは、衣装だ。特に二条の衣装に関して、別に日本人だからと言って平安時代の着物に詳しいわけではないし、全く正確なものを求めているわけでもないのだが、それにしても今までのNT版や初演での上演に比べてもかなり酷かったと思う。海外の人がイメージした十二単衣という感じで一番上がサイズの小さな着物で下に行くほど大きな着物になっている。これによって確かに布が重なっていることは分かりやすく示されるが、袖口から何枚もずるっと下の袖が出ているのはちょっと見栄えが悪い。首元も襟の部分を内側におるのではなく洋服式に外側に折っており、しかも全ての着物が柄物でごちゃごちゃしている。

 また、アンジーにマーリーンがプレゼントしたワンピースは先に出てくる第二幕一場ではぴちぴちになって不恰好になっているべきでNT版ではサイズ違いのワンピースが効果的に用いられていた。しかし、今回は後のシーンのワンピースと同じものが使われていて、時の経過やマーリーンへの憧れが空回りしている様子は伝わってこない。この衣装はこだわって2着用意するべきではないかと思う。

第三幕、姉ジョイスの家のセット。結構NT版と似ている。

 最後に演技や演出に触れていきたい。今回の上演をNT版と比較すると、細かいディティールの違い、例えばチャーチルの劇の特徴の一つである台詞のオーバーラップが忠実に行われているとかいうことは感じたのだが、全体的にはそこまで個性的ではなく、特に第三幕の姉ジョイスの家でのマーリーンとジョイスの口論のシーン等は感動的ではあるものの、違いの出にくい場面だと感じた。一幕の歴史上の人物のパーティーの場面も、円形の机というのは初めてのタイプだし、二条だけNT版より激しく髪を振り乱して狂う感じで強調されていたのは良くなかったが、それ以外はそう変わったところはなかった。

 一方で、大きく演出家の解釈だったり違いが出るのはジョイスの娘として育てられているが、実はマーリーンの子供であるアンジー関係のシーンではないかと気づいた。NT版のアンジーがかなりオカルト趣味の奇妙な少女味が強かったのに比べると、今回のアンジーはただちょっと元気すぎる子供の範疇で、マーリーンやアンジーの彼女に対する冷淡な評価の響き方も変わってくる。最後の場面で悪夢を見たようなアンジーがマーリーンにお母さん、怖いと呼びかけるシーンも、NT版がしんみりと怯えていて謎を残すような感じだったのに比べて、今回の版では走りながら激しい感じで入ってきて、本当に何か悪夢を見て訴えているように映った。鈴木美穂先生の「境界を内破する ─ キャリルチャーチルトップガールズにおける身体」 西洋比較演劇研究 13 (2): 115という論文でも、アンジーが姉妹の二項対立の境界を行き来する存在として解釈されていたが、今回はよりそのような側面が強く感じられた。ただこの論文では、一幕のマーリーンの昇進パーティーの場面が三幕のアンジーが見た夢であるという可能性について論じているが、今回の上演では、一幕から二幕への場面転換の際にマーリーンがこちらに背中を向けて立ち尽くしており、歴史上の人物が物を運びながら彼女にアクションをかけてくるので、マーリーンの夢であるという解釈が強調されていた。暗転ばかりのNT版に比べても、上述の通り今回の転換は見事なのだが、その演出一つで演出家の解釈が示されるというのも面白いと思う。

 

この後、リヴァプールから日帰りで帰って、友達が演出したオリジナルミュージカル作品を観に行った。(誘われたから電車の便を変更したのに、誘った本人が来ないという謎)盛り上がってはいたが、バックステージもののジュークボックスミュージカルで、大会に向けて新作ミュージカルを作ろうとする団体が、色々もめながらも最終的には成功するというよくあるタイプのやつだったので退屈してしまった。

 ★3のレビュー:ガーディアン紙、WhatsOnStage

★4のレビュー:ザ・ステージ、テレグラフ